過疎化がどうにも止まらない!年一回の里帰りの頃は、「過疎化」という言葉も「これも時代の流れなら仕方がない」というどこか冷めた気持ちで受け止めていたが、最近では、その実態を目の当たりにするにつけ、「もうどうにもならない。このままでいいのか(と言ってもどうにもならないのはわかっているが)!いや、もうちょっとは何とかなるんじゃないか」という気持ちが湧いて来る。あまりにも嘆かわしい。責任者出てこい!(誰?)いやいや、「責任と言えば、田舎を置いて出て行った自分にも責任があるのかな?」と思わなくもない。そうすると、ちょっと後ろめたい気持ちになったりする。 そう、この現実にまともに向き合うと、後ろめたさでなくても、なんとも寂寥感がこみあげてくるのだ。だからこそ、帰省する回数を減らす(あるいは一切帰省しない)、見て見ぬふりを決め込む(まあ、自分にできることは殆どない)という選択肢を取りたくなったりする。そして、とっておきの、田舎を出て行った理由を連ねて自分を正当化しようとするわけである。その理由とは… 1.学校の先生 2.農協の職員 3.役場の職員 もっとも、「公務員」と一くくりにすることもできるし、保育園の保母さんや郵便局の職員なども含まれるだろう。同級生などで学校の先生になった人は多いが、それが「なりたい職業」であれば問題ない。しかし、困るのはこのなかに自分の「就きたい職業」がない場合だ。しかも、とかく若い頃は夢を見たい。歌手になりたいとか、俳優になりたい、ピアニストになりたい、野球選手になりたい、エンジニアになりたい、などなど、「やりたい」職業はこの3つのなかにはない。みんな都会の職業だと言える。だから、若い人はみな都会をめざす。 小倉に住んで1か月後、上城井の実家に帰って感動を覚えた。「なんといいところなのか、この田舎は!」という実感である。黄色い菜の花が、ややまだ冷たい風に揺らぎ、モンシロチョウがひらひらと行き交う。その背景で、春の鳥のシンフォニーが奏でられる。空高くはヒバリ、山からはウグイス、小刻みにチュンチュン鳴くのはスズメか。それ以外にも名前も知らないような鳥が冬枯れの柿の木に止まったり、飛び去ったり…。暖かな陽ざしを感じながら、耳を洗うような心地よい響きである。そんな空間に浸っていると「もう何も要らない」という感じにさえなってくる。いわゆる「南の島の楽園」効果とでも言おうか、このまま毎日「のほほん」と暮らしていたいと思うのである。 若干音声を強調しています。 その点、人混みに紛れながら商店街で信号を待っていると、「バサッ」という音がして、空から肉片のついた鳩の手羽先が落ちてくる小倉とは大違いである。小倉では、毎朝ゴミを狙ってカアカアと声高に鳴くカラスはいるが、小鳥の声は聞こえない。しかし、刺激はある。刺激とは、心地よさのなかにあるのではなく、ある程度の不快さとともに生まれてくるものかもしれない。かくして、刺激を求める人は都会をめざす。 こうして、都会に出て行った若者が年を取り、過ぎ去った年月を振り返りながら「結局自分の人生こんなもんか」と、若い頃精一杯翼を広げた大きな夢に対する「甘ずっぱいあきらめ」とともに、「それでもやれることはやった」という「ずっしりとした満足感」を抱きながら、再び、生まれ育った田舎と向き合うようになる。そして、直面するのがこの現実なのである。 通った学校がない!若者がいない!子供の声がしない!(いるにはいるのだろうが、登校も車で送り迎えとか) 朽ち果てた空き家だらけで、そこここに住んでいたおいちゃんやおばちゃんもいない! 毎日のように流れる町内死亡者の放送が寂しすぎる(町内誕生者というのもやったらどうか?) 車のない高齢者にとって唯一の足は2時間に一本のタウンエースのバス(それでもありがたい!) 車を運転できない高齢者は買い物難民(移動販売、配達までしてくれるニューなかつやさんありがとう!) それにしても、なんとかならないのか、この過疎化。 |