仕事を持って上城井に帰ろう!同じ「フリー」と言っても「フリーター」ではないので、「いつ、どこで、どのように、どんな」仕事をするかを自由に選べるという意味の「フリー」である。良く言えば、いつでもどこでも仕事ができるということだが、悪く言えば、どこまでも仕事に追いかけられる。納期さえ守れば、平日の日中でもぶらぶらしたり寝て暮らしても、誰にも文句は言われないが、納期がキツければ土曜も日曜もなければ、盆正月もない。48時間働き続けなければならないこともある(さすがにこの年になってからはやらないが)。 では、どんな仕事をしているのかというと、広告やマーケティング業界で、翻訳や文章を書く仕事をしている。クライアント(この業界では「お客」のことをこう呼ぶ)は大半が企業である。学校を卒業して入社した会社が、広告関係の制作会社だったので、ずっとこの業界に40年以上いることになる。最近、ニュースでも広告業界の労働時間などが問題になったが、そういう意味では厳しい業界だ。若い頃は、徹夜など当たり前だったし、徹夜して納品しても、その後から追っかけ変更や訂正でやり直し… などザラであった。当時は「ブラック企業」などという言葉もなかったし、一人前の人材になるにはそこを超えなければならなかった。しかし、だからと言って、「最近の若い者は甘い」などということを言うつもりはない。今の社会と当時を比較しても意味がないからだ。ビジネスにおける時間の流れも何倍にも速くなっているし、価値観も変わってきた。仕事に求められる精度も高くなってきた。ITのもたらした弊害なのかもしれない。 こういう時代だから、休みを取るのが余計に難しい。「すいません。明日から1週間休みなので仕事はできません」のようなことは、言って言えなくもないが、非常に言いにくい。もちろん、時と場合にもよるが、基本的に、今では、クライアントさんも忙しいことが多い。人員削除や経費節減などで、時間外労働や休日返上で仕事をしていたりするのだ。そのクライアントが、広告代理店や制作会社に仕事を依頼するのだが、クライアントが「時間外労働や休日返上」でやっているわけだから、広告代理店や制作会社もそれに合わせることになる。そういうわけで、さらにそこから仕事を受注している我々フリーランスだけが、「すいません、休日は休むんですわ」などということはちょっと言えない。かくして、「仕事を持って上城井に帰ろう!」となるわけである。 これを1つの「悪循環」ということもできるが、フリーランスの立場からすると、「柔軟な働き方」と言えなくもない。特に、ものを書くという仕事は、材料も要らないし、パソコンとインターネットさえあれば時と場所を選ばない。もちろん、京都の自宅にはパソコンが2台(突然故障などの場合に備えて2台必要)、移動中にも作業できるようにタブレットが2台、帰省先にはノートパソコン1台と、パソコンの台数とその台数分のアンチウィルスソフトも必要になってくる。しかも、忙しいときは本当に忙しい。帰省途中の新幹線の中、日豊線のホームの待合室、電車の中などいろんなところが仕事場になる。しかし、いったん仕事を納品してしまえば、平日であろうが、真昼間であろうが、散歩したり、買い物に出かけるのも自由だ。さらに言うならば、仕事の時間や場所だけでなく、仕事を選ぶことだってできる。これもフリーランスの強みである(ただし、あまり選り好みしすぎると仕事が来なくなる)。 話は戻るが、会社を辞めて独立した理由の1つに「フレキシブルな働き方」という考え方があったのは事実だ。親も年を取ってくるにつれ、帰省しなくてはならない回数も増えてくるはずだと思ったからだ。しかし、会社勤めであれば、それほど頻繁には休めない。後ろめたさを感じながらも休みが重なると、なんとなく会社にも居づらくなり、結局会社を辞めて田舎に戻ってみたが良い就職先もなく… といった話をよく耳にする昨今である。そのためにも、会社に所属しなくても働ける方向性を選んだわけである。もちろん、それまで自分のやってきた仕事内容だったからこそ、実現したのは言うまでもない。 しかし、手前みそで恐縮だが、自分のように、生まれ育った故郷を離れて都会で暮らしている人が、もっと「柔軟な働き方」を模索できないかと思うのである。会社に勤めていれば、経営者でもない限り、確かに難しいが、今はIT技術がある。業種にもよるが、「会社」という建物がなくても仕事はいくらでもできる。帰省先勤務やUターン先勤務だってできるはずだ。オンライン会議もできるし、オンライン出社もできる。どうしても必要なら、月に1回でも本社まで出張すればいいのだ。物理的距離が関係ないビジネスのやり方もいろいろあるはずだ。もちろん、自分のスキルを活かした「起業」もいいだろう。 「地方創生」などという政策が打ち出されているが、政府が何かやってくれるのを待っていてもどうなるものでもない。まず、自分なら何ができるか、どういう可能性があるかを考えることも大事だと思うのだ。そうでもしなければ、「地方創生と言っても難しい。問題がありすぎる」などと御託を並べているうちに、何も実行できず、結局、何も変わらなかったということになりかねない。そして、この城井の里も、例にもれず過疎化の波に押し流され、「そして、誰もいなくなった」村になるだろう。 別に、仕事でなくてもいい。故郷と自分の関わりを見直すことで何かが変わるかもしれない。「いや、あんなド田舎には二度と帰りたくない!」という人は別だが、故郷を懐かしむ気持ちが少しでもあれば、夏休みや冬休みの休暇を過ごす「別荘」的な位置付けや、週末を過ごす「セカンドハウス」ではどうか。 自分のライフスタイルをデザインするのは自分しかない。自分の残された人生において、故郷との接点をどう保っていくのか、それを一人一人が真剣に考えるのもいいかもしれない。 住民のいない「イノシシやタヌキの村」にしてしまうのは、あまりにももったいない、「良いところすぎる」城井の里ではないかと思うのである。 |