Posted in 2001


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Posted in 2001


ウェディングパーティあれこれ




友人のアメリカ人が48歳になってめでたく結婚の運びとなり、先日、披露パーティがあったので行って来た。もちろん(というのも変だが)初婚である。相手も同じ年齢らしく自分たちのことを late bloomers と呼んでいたが、日本語で言うとさしずめ「遅咲き」とか「(大器)晩成」といったところだろう。

とにかく、アメリカはあまり好きじゃないということで、もう20年ほども日本に住んでいる。多くの外国人がそうであるように彼も京都が好きで、たぶんあまり理解はしていないと思うのだが、「わび・さび」などと言いながら、尺八を習ってみたり、お寺のゴミ捨て場などから古い仏壇を拾ってきてゴキブリ用の殺虫剤を入れて戸棚代わりに使ったり、薄汚れた(?)男物の浴衣帯を拾ってきてマフラー代わりに着てみたり… と平凡な日本人にとっては驚かされることが多々あった。

この「拾い癖」であるが、別に彼はホームレスの生活をしているわけでもないし、物が買えないほどお金に困っているのではない。彼らにとってはそれが「わび・さび」のような異文化であり、それを体験するのが面白いのだと思う。彼の友人のアメリカ人も大の骨董(というかガラクタというか)好きで、古いお寺が建て替えなどのために解体されると聞けば必ず飛んでいく。装飾欄間や石灯籠などを物色するためである。その友人の家に招待してもらったことがあるが、「ゲストルーム」と名づけたその部屋には、四方八方壁がなく、代わりに平安時代の絵巻物に見るような古い大掛かりなスダレが掛っていてそれが戸外と内を隔てている。夜だったが電球などというものはなく、大きな提灯が天井からぶら下がっている。すべて「拾い物」である。大きな木製の丸テーブルももちろん「拾い物」だ。キッチンと思しき部屋に行くともちろんここも電気はなく、暗い。そして薄明かりの中に棚の上に置かれた大きな「えびす」さんの顔がにゅーと浮かび上がる。このえびすさんも「拾い物」であることは言うまでもない。そこで出してもらったカルアミルクなどを飲みながら、こういった文化の「遊び」というのか、「日本人には出来ないことだなー」とつくづく感心したのを覚えている。


話を本題に戻そう。結婚披露パーティである。何を隠そう、いわゆる西洋式のパーティというのに出席したのは初めてだったので、正直言うとやはり少し戸惑いがあった。ディナーではなく立食である。最初はホスト(本人)に挨拶やハグ (Hug) などをした後、軽く一杯ついでもらって少し会話をする。わたしの場合、知り合いがほどんどいなかったので、ホストがまず日本人の人を誰かを紹介してくれるわけだが、その後はホストとして他の人にも気を配らなければならないので忙しい。いつまでもこちらの相手をしてくれる余裕はない。実はそこからが対人スキルの見せ所というわけで、自分で立ち回っていかなければならない。普段からむずかしい顔をしてパソコンばかりに向かっていると、こういうときに戸惑う。話し相手も見つからず、ぼーっとしているほど惨めなことはない。心機一転して愛想良く、とにかく誰にでも、話できそうな相手には近づいて行かなければならない。もともと性格的に愛想の良い人は得であるが、どちらかというと「オタク的」傾向のある者にとってはちょっとつらい。

しかも、だいたい「パートナー」を連れてきているし、知り合い同士で固まっていたりする。結婚相手の女性が日本人なので、日本人と外国人が半々くらいの割合だったが、どちらかというとやはり日本人は日本人同士、外国人は外国人同士というふうに分かれてしまう。これではあかん、日本人とばかり話をしていてはせっかくの国際(?)パーティのチャンスなんだから、といい聞かせ、コップ片手にうろうろ歩いて頑張ってみた。とにかく目が合ったら「にこっ」と笑いかける。そして相手がイヤそうでなければ、何でもいいので話しかける。話しかけるネタが無いので、相手が外国人の女性ならば「彼の友達?」と聞く。金髪だったら「彼のお姉さん?」とか聞いてみる(そんな訳ないと思いながらも)。

そんなこんなしながら、ある女性にはターキーの食べかたを教わり、何しろアメリカに行った経験がないので、クランベリーソース cranberry sauce をつけて食べるなんて知らなかったなーと単純に喜んだり、後のほうになって、骨董品を輸出しているアメリカ人と知り合いになり、彼のボロ(?)グルマで駅まで送ってもらえることになったので、同じくパーティで知り合った日本人の女の子とその友達も加えて、いっしょに帰路についたのであった。パーティ会場は京都の田舎の辺ぴなところにあったので、行きはタクシーで来たものの、帰りはクルマで来ている人と知り合いにならない限り帰られへんで!と思っていたので好都合だった。というわけで、人間同士、島国根性かなぐりすててココロをオープンにするしかない、とつくづく勉強になった数時間であった。