Last update August 25, 2019

コラム:英語学習について考える

英語学習――お金と情熱との関係



格差社会などと言われるようになって久しいのですが、教育や学習にかけられる潤沢な資金のある幸運な方は、思う存分お金をかけて上達をめざすのもいいでしょう。

しかし、いくら多額の投資をしても本人にやる気や最後まであきらめない情熱がなければ、投資対効果は大きくないかもしれません。

たとえば、せっかく英語圏に留学したのに、日本人だけで集まって日本語ばかりしゃべっていたというのでは、長期観光に行っただけのことで、エンジョイしたけど肝腎の英語はさっぱり上達しなかったということになりかねません。

また、英会話学校に通おうと受講料も払ったけど、仕事やらプライベートやらで何かと忙しくてほとんど出席できませんとか、思いきって数十万払って話題の教材買ってみたけど、ほんとに効果あるのかなあ?などと思っているうちに、だんだん情熱も冷めて今は本棚の飾りに…。

あるいは、個人レッスンを始めたのはいいが、そのうち講師の先生と恋人同士になってしまって、そこで「相手のことを理解したい!」という情熱が働けばいいのですが、なんだか馴れ合いになってしまって、今では相手に日本語しゃべらせてます… などなど、いろいろありますね(もちろんステキなお相手が見つかるのはそれはそれで素晴らしいことです)。

つまり、こういった事例から言えることは、お金をかけることと上達という結果は必ずしも比例するものではないということです。世の中、お金を出せば手に入るものはたくさんありますが、「情熱」や「やる気」は、いくらお金を積んでも手に入りません。当然、「情熱」のないところに「楽しい努力」は生まれず、「楽しい努力」のないところに「上達」はありません。「上達したい」という「願望」だけでは「絵に描いた餅」に等しく、お金をつぎ込んで本物の「餅」をゲットしたところで、食べなければ始まらないわけで、「情熱」もない、「努力」もしたくない、でも「上達」したいという人は、英語圏の国民かバイリンガルの家庭に生まれなかったことを嘆くしかありません。





もちろん一番良いのは、資金もあって多少の「情熱」がある場合ですね。これは「鬼に金棒」とも言うべきもので、これに勝るものはありません。しかし、「情熱」では勝てます。そういった恵まれた人たちに真似のできない「情熱」を持つことです。「上達」の度合いは資金の大きさに必ずしも比例するものではありませんが、必ず「情熱」の度合いに比例するはずです。

何事においてもそうです。「情熱」は堅固な「意志」を育て、「意志」は「工夫」をもたらします。「工夫」は物事を見つめる視野を広げ、その本質を深めることにつながります。ときに、その工夫は、「そこまでやるか」という涙ぐましい努力かもしれません。しかし、そこに、創造性をつちかう営みがあります。

人からは「涙ぐましい」努力だと思われても、それは、本人にとっては創造的な楽しい努力なのです(そうでなければ「そこまで」できませんよね)。お金をかけて簡単に手に入るスマートでスムーズな道ではなく、試行錯誤を繰り返しながら七転び八起きの「でこぼこ道」。それは大変な道であっても味があります。自分だけの個性あふれた道です。

そんな努力を何十年も続けているうちに、恵まれた環境で上達した人にはない「何か」を身につけているはずです。たとえ、そういった人たちに勝てない部分があったとしても、「この部分では勝てるぞ」という「差別化ポイント」が必ず見つかるはずです(別に競争意識を燃やす必要はありませんが)。

ハングリーだからこそ「情熱」が持てるわけです。その「情熱」をエネルギーに、確かな上達をめざしましょう。