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翻訳に基づいた「通弁」クリエイティブ・ライティング

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日本語と英語の違いとは?

あいまいな日本語と明確をめざす英語

あいまいな日本語

ここでは、正反対とも言える日本語のあいまいさと、明確さを追求する英語の性質について考えてみたいと思います。

日本語と英語の違いとは?でも述べていますが、「日本語はあいまい」だと言われます。その理由としては、性数の変化がないといった言語的な特徴もあるかもしれません。しかし、それ以前に、言語とは、そこに使う人がいることでさまざまな特徴が形成されるわけです。やはりその言語を使う人々の民族性・国民性、考え方などが要因になっていると言えます。

そういう視点で日本語について考えてみると、日本人の「沈黙は金なり」といった考え方が大きく反映されているようです。言語学者である金田一春彦氏は、著書『日本人の言語表現』のなかで、

「日本人の言語生活の特色として、まず第一に注意すべきは、話さないこと、書かないことをよしとする精神があるということである。」

というふうに述べておられます。

これは、次の省略する日本語と省略できない英語にも大いに関わってくるのですが、日本人は本質的に「できれば発言したくない」という精神をもっているというのです。それは「口は災いのもと」とか、「不言実行」、昔流行した CM の「男は黙ってサッポロビール」といった表現にもよく表れていると思います。

とは言え、現実問題として、全く発言しないというわけにはいきません。そこで、「発言はしたくないが、どうしてもしなければならないのなら、できるだけぼかした言い方を」ということになったのかもしれません。つまり、発言することに対する「慎重さ」や「躊躇ちゅうちょ」といった心理があいまいな表現として表れてくるわけです。

その背景には、農耕民族としての共同体を形成し、そのなかで個人というものが「集団に埋もれた個」のようなカタチで存在してきた日本人社会の特質、あるいは、古くから存在した「ことだま信仰」など、古代人の言葉に対する畏怖いふといった要素が考えられます。

いずれにしろ、日本語には、発言することへの慎重さという心理に裏づけされたさまざまな表現があり、それがまた、日本語表現の特徴とも言えるかもしれません。以下、そういった表現パターンをいくつかあげてみます。(なお、下記の分類や分類名は、このサイトにおいて、便宜上定義しているだけで、一般的に認められたものではありません。)

1. 置きかえ

あの件については、あれでいいですね?」「ああ、そのように取り計らってくれ」など、「あれ」とか「これ」、「それ」といった「こそあど」言葉を使って置きかえる傾向があります。また、「あなた」や「君」、「お前」などの2人称を使う場面は限られていて、その代わりに「社長はどう思われますか?」とか「○○さんは何にする?」、「奥さん、おひとついかがですか?」など肩書きや名前、役割などを使って相手に呼びかけます。

2. ぼかし

最も顕著な例が、「~と言ってもいいでしょう」といった語尾をにごす表現や、「~ではないかと思います」などのはっきりと断定しないような表現がよく使われます。これは、日本人の「はっきりと定義したくない、断定したくない」という精神構造の表れなのですが、実際に証明されていない「不確かさ」を表す場合もあれば、単なる「自信のなさ」からこう言ってしまう場合もあります。英語表現する際には、どちらかを見極めることが必要になってきます。

3. なぞらえ

自分の意見を第三者(それも権威ある人物など)や書物などの存在を借りて間接的に表現しようとする方法です。日本語では、(絶対とは言いませんが)「有名な○○先生がおっしゃってるんだから、何かあったら自分のせいにしないでくれ」といった責任回避の心理が大きく働いているのに対して、英語では、自説をより強調するために使われるのが大きな違いです。また、「前例がない」というときの「前例」もこの「なぞらえ」の心理が働いていると考えることができます。

4. うちけし

いったん述べた自分の意見をいちおう「否定(打ち消し)」しておくという心理に基づいた表現を言います。「…なんちゃって」などの本気なのか冗談なのかわからないような語尾や、「自慢じゃないが」というときの「~じゃないが」といった否定表現、また、褒められると、「いやいや、そんなことはありません」と、やはり、いちおうは、打ち消してみせるという傾向があります。

その他、京都の「お茶漬け」にみられるような「さかさま」表現や、結婚式で使ってはいけない言葉「いみことば」など、異文化の人々からみると混乱を招くような言語表現の特徴があります。(詳しくは、コラム日本語はどこがあいまいなのか?をご覧ください。)いずれにしろ、このような日本語特有の表現をそのまま英語に移し変えても通じる文章にならないのは明らかです。

「言葉は武器」である英語

一方、英語をはじめとするヨーロッパ言語では、言葉は異民族と対峙するための「武器」であり、生死を分ける「手段」でもあり、「できれば発言したくない」どころか、発言できないということは(生きる)チャンスを与えられないということだったかもしれません。まさに、「沈黙」ではなく、「雄弁」こそが「金」であったわけです。

つまり、武器として鍛えられてきた言語ですから、あいまいで不明瞭であるということは致命的です。また、日本人は心の奥で密かに「難解でわからないもの」を有難がったりする心理もあると言われますが、英語圏の人にとっては、こういった「あいまいさ」や「不明瞭さ」に対する許容範囲はきわめて狭いと思われます。むしろ、あいまいにしておくことは、発言者に公平さや誠実さがないからだと思われるかもしれません。

逆に、英語のメッセージを日本語化する場合は、すべて訳出しないで「あいまい」な部分をわざと残しておくことが日本人の感覚によりマッチしたものになる場合もあります。輸入物のテレビショッピングの CM などを見てもわかりますが、同じことを何度も何度も繰り返し、しかも早口でまくしたてる、あのせわしないトークには、普通の日本人なら「くどさ」や「潤いのなさ」を感じます。

あいまいと明確さ。日本人がいかに「発言しないようにするか」を考え、そのための表現術をきわめている間に、英語圏の人々は「いかに効果的に言葉を使い、相手を言い負かすか」の話術を鍛えながら歴史を歩んできたとも言えます。

つまり、はっきり言うことを避ける傾向のある日本語で書かれたものを、そのまま英語のセンテンスにした場合、明確でわかりやすい英語にならないのは当然です。日本語と英語間の言語的変換作業として、この点は大前提として頭に置いておく必要があると思われます。



(画像はイメージです。)