荘厳・華麗な極楽浄土の世界
僧門に入った元室町将軍・足利義満が建立
(Photos: Taro Matsukaze and Yasuaki Hijikata)
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鏡面をたたえた池、優雅な散歩道
この美しい庭園を足利義満自身、何度も散歩したことでしょう。
あるときは、成し遂げた大業に誇らしさを感じながら、あるときは、反乱軍の追手から逃れ続けた幼年時代を思い出しながら、あるいは、有力な守護大名(地方を治めていた大名)たちを征圧し、室町幕府第3代将軍としてついに天下を治めるようになった来し方を感慨深くふり返りながら――。
さて、あなたはどんな想いをめぐらせてこの庭を歩きますか?
中央に池を配した、室町時代(1392~1573)の典型的な回遊式庭園。金色の寺院を水面に映し出す鏡湖池、その中に浮かぶ葦原島、鶴島、亀島などの小さな島々。細川石、畠山石など、寄進した当時の諸大名の名前がそのままつけられた島をかたどる石。
衣笠山を借景にしたこの庭の風景は、日本で最も美しい景色の一つに数えられています。
そして、義満が手ずから植えたという陸舟の松(舟形の松)。その成長を見守るのも、散歩の楽しみだったのかもしれません。京都三松の一つとして知られるこの松は、1678年、後水尾天皇から寄贈された方丈の間の北側にあり、今も青々とした美しい姿を見せています。
また、義満がお茶を入れるときに汲み取ったとされる銀河泉、手洗いに使ったとされる巌下水も残されています。
さらに、忘れてはならないのが竜門の滝。中国の故事「鯉の滝登り」を表現したもので、そこには、鯉魚石と呼ばれる石が置かれています。もちろん、竜と言っても、カンフーの名人のドラゴンではありません。滝を登りつめた鯉が竜になるという意味があるのです。
金閣の裏を登ったところに、安民沢という池が神秘的な雰囲気を漂わせています。この土地の以前の所有者からそのまま引き継いだもので、ここの水が鏡湖池の水源になっているのです。
池の中の島には「白蛇の塚」と呼ばれる小さな塔が立っています。日本の民間伝承では、白い蛇は、水神としても知られる弁才天の使者であると信じられています。
北山文化の始まり
歴史をさかのぼると、もともとこの土地を所有していたのは、鎌倉時代(1192~1333)の政治家、西園寺公径の子孫でした。38歳で将軍を退任し出家した義満は、これを譲り受け、大規模な造営を行いました。こうして、荒れ果てていた土地からまるで仏陀の荘厳世界のような、見事な建築と庭園からなる空間を創り出したのです。ほどなくしてこの地は、北山殿と呼ばれるようになりました。
当時の政治的、文化的拠点として重要な役割を果たした北山殿は、よくこの地を訪れていた後小松天皇や、貿易相手国であった中国(明)からの使節団の迎賓館としても使われました。
明との取引によって得られた収益は、建物や庭の維持や改善に活用され、北山文化という独自の文化を築き上げました。
仏舎利塔としての金閣
将軍を引退し出家した義満でしたが、決して政治の舞台から降りることはありませんでした。むしろ、密かに実権を振るい続けるための引退であり出家だったのかもしれません。なぜ金閣を建立したのか?いまだ衰えることを知らない力を誇示するためだったのか?それとも、純粋に仏の教えを求めようとしたのか?その本当の理由はさだかではありません。
その理由はともかく、金閣が室町時代を代表する建物の一つであることには変わりありません。各層ごとに異なる建築様式を採用しながらも、それらを見事に調和させた異色の傑作と言えるでしょう。
第一層は寝殿造り(貴族様式)、第二層は武家造り(武士様式)、そして第三層は中国風の禅宗仏殿造りとなっており、それぞれ、法水院、潮音洞、究竟頂と呼ばれています。
二層と三層は、漆の上から金箔を貼り、金閣という呼び名はここから来ています。屋根は
椹(檜に似た木)で葺いたこけら葺きで作られ、頂上には、幸運のシンボルである鳳凰の装飾が施されています。
鹿苑寺
義満の没後、その遺言に従って、義満の法名から文字を取って「鹿苑寺」が設立され、夢想国師が開山(初代住職)を努めました。仏舎利塔である金閣が有名であるため、一般的には「金閣寺」と呼ばれていますが、この「鹿苑寺」が正式名になります。
宗派は、臨済宗相国寺派に属し、1994年には、世界文化遺産に登録されました。
夕佳亭
江戸時代(1603~1867)の茶道家、金森宗和によって創られた茶室。夕日に良い(佳い)一室=夕佳亭と名付けられ、夕暮れどきに、ここから眺める金閣の朱に映える姿を称えた名前になっています。
正面の床柱は南天の木が丸ごと一本使われており、希少価値の高いものとなっています。
不動堂
夕佳亭の東南にある不動堂には、石の不動明王がまつられています。この像は真言宗の開祖、弘法大師(空海)が造ったと言われる伝説の作品で、多くの人の信仰を集めてきました。開扉法要は、節分の2月3日、五山送り火の8月16日のみで、年に2回しかお目にかかれない秘仏です。
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