Last update August 24, 2019

英語の独学――管理人の場合 (1)







P R O F I L E
今からかなり前に誕生。(当時はあたり前だったが)中学校から英語を学習し始める。(当時はちょっと快挙だったが)中学時代に英検2級を取得。高校時代に日常会話をマスター、英語クラブ (ESS) に所属。アメリカ人留学生のお世話係をしながら英語の上達を図る。大学の専攻はスペイン語でありながらも、やはり ESS に所属する。卒業後、とある広告制作会社で英文ライター業務を担当。パートナーのアメリカ人ライターのライティングスタイルを盗みながら書く英語をトレーニング。その後、広告代理店の海外部門において、翻訳・ライティングのかたわら、英語での企画書作成、企業グループ内の国際会議やミーティングの主催、プレゼンテーション、海外子会社とのリエゾン担当などの業務を経て、現在はフリーランスでクリエイティブ翻訳ライティングに従事。「普通の翻訳を超えた翻訳ライティング」を求めるクライアントさんに満足いただいている。ただ今 Twitterで「私の英語物語」発信中


ど田舎に生まれて

みなさん、こんにちは。管理人の ronde です。私が生まれ育ったのは九州は福岡県の片田舎。生まれた日は、そう、あのシェイクスピア (Shakespeare) と同じ日です。だからどうだっていうことはないのですが、不思議な「ご縁」を(勝手に)感ずるものです。彼の作品をそれほど読んでいるわけでもありませんが、クリエイティブな言葉の組み合わせによって、ユニークで豊かな表現を生み出す「表現の発明家」として尊敬している作家でもあります。

それはさておき、前述のように、私の生まれ育ったところは「ど」がつく田舎なので、電車もなければ、本屋もない。スーパーもなければ電気屋もない。1時間に1本しか来ない(今は過疎化でもっと来ない)バスに乗って外を見渡せば、山、山、ときどき川、そしてまた山。今では過疎化と自家用車の普及で、そのバスも、ときどき小さなバスが走っているだけ。もちろん会話学校なんてものがないのは言うまでもありません。外国人の姿などいまだかって見たこともなく、まさに生まれたところが悪いのか、英語を学習するには最悪の環境と言ってもいいでしょう。学校を卒業しても就職先は「農協」「町役場」「教師」くらいの選択肢しかありません。幼い頃は、文字通り野山をかけめぐり、夏の夜には蛍狩り、川原で石を投げたり投げられたりしてケンカもし… といった、今の子供たちとはちょっと違った生活を送っていました。もちろん、塾なんてものもありません。そんな環境にありながら、あるいは、そんな環境だったからこそかもしれませんが、子供心に「未知への好奇心」や「異文化へのあこがれ」のようなものがあったようです。

小学校も高学年になると、学校から帰ってやることといえば、マンガを書くかテレビを見ること(もちろん、勉強なんてしません)。その頃は漫画家にあこがれ、少女マンガなどを描いていたのですが、一度母親に見つかって原稿を破り捨てられたという経験もあり、親の前ではマンガを描くのはご法度。もっぱら親のいないときを狙って鬼の居ぬ間に洗濯でしたが、それ以外にも好きだったのが、海外ドラマの再放送番組を見ること。なかでもお気に入りは「宇宙家族ロビンソン」 (Lost in Space)、ウィル (Will) という登場人物の少年に密かにあこがれていたのを思い出します。この頃は、二ヶ国語放送などというものはありませんので(あっても小学生の私に英語はわかりません)、日本語の吹き替えで見ていたのですが、その頃から、宇宙モノや海外モノに興味があったような気がします。「異次元の世界」などという言葉になぜかしらワクワクしていたものです。しかし、だからと言って、科学を勉強したいなどということは考えることはなく、「理系」にはめっぽう弱いという DNA を受け継いでいたのかもしれません。

英語との出会い

さて、そんな「ど田舎」のカントリーガールとして育った私が、初めて英語と遭遇したのは、車で1時間以上走ったところにある小倉という都会(私にとっては)の大きな病院に行ったときのこと。当時、小児喘息を患っていた私は、近所の診療所の治療では効果がなく、父親に連れられてその病院に通っていたことがありました。そんなある日のこと、(たぶん)アメリカ人とおぼしき家族が治療に来ていたのです。これが、物心ついてから初めて遭遇した西洋人だったのではないかと思います。まあ、田舎者ですし、実際に金髪で青い目の西洋人を見るのは初めてなので、たぶん、もの珍しそうにじろじろ見ていたかもしれません。そのときに、その家族が話していたのが(たぶん)英語だったわけで、そのことが妙に不思議だったのを覚えています。そのときの心境をイメージしてみると次のようになるでしょう(まあ、田舎者丸出しですけどね)。




あれから幾星霜。今、当たり前になってしまっていますが、ふと考えると、こうして、外国語で外国の人たちとのコミュニケーションが楽しめるようになったということは、幼い頃の夢を一応実現することができた自分がいるわけです。しかし、仕事やプライベートの出会いを通して、何歳になっても日々学びのネタは尽きることがありません。今後も、人間としての考え方や感じ方の幅を広げながら、焦らず地道に生涯学習を続けていきたいと思っています。

教訓その1
英語の上達に必要なのは、好奇心と情熱というエネルギー。英語ぐらい話せないととか、仕事で必要だからといっても、普段日常的に使っていない外国語を習得するのは並大抵のことではない。また、何となくやっているうちに、惰性や慣性で身に付くというものでもなく、単語や表現の1つや2つ覚えることはあっても、言葉として使えるレベルまでは至らない。だからこそ、モチベーションにエネルギーを与えてやる必要がある。興味と情熱の炎を燃やし続け、内からのエネルギーを供給し続けることで、上達のメーターがぐんぐん上がる!

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