どこにでもあるスタート異文化への好奇心を抱きながら中学生となった私にとって、新しく始まる「英語」への興味はひとしおでした。小学校で習ったローマ字とは違う本物の横文字の世界。教科書をぱらぱらとめくりながら、これが、「海の向こう」で話されている「英語」というものか、と期待に心躍らせたものです。第1課こうして、何度も読むうちに、当然のことながら文章を暗記してしまいます。そして、第2課に入った頃、思いがけず先生が「教科書の文章を暗記している人はいますか?」と聞くのです。そう聞かれれば名乗りをあげないわけにはいかないので、「はい!」と手を上げ暗唱すると、まわりも「わあ~、すごい!」となり、この一件によって、私は、一躍「英語ができる人」というレッテルを貼られてしまったのです。人間、褒(ほ)められたらやる気も出るというもので、ますます英語が好きになり、このポジティブなレッテルを維持しようと、さらなる情熱を持って学習に励むようになったのです。 英語検定試験へのチャレンジ中学校も二年生になると英語の先生も変わり、一年生のときは発音の良い先生でしたが、今度の先生は家がお寺をやっていて副業はお坊さんという人で、発音はまさに「ジャパニーズ・イングリッシュ」。しかも、どんな文章でも、必ず3ワードで区切ります。まずは、英語検定4級を受験。ところが、「私は英語が得意だから」と高をくくっていたら思わぬ衝撃が…。筆記試験は問題なかったのですが、リスニングがさっぱりわからない。なにしろ、初めて耳にする「生の英語」、学校の授業の英語の響きとは全く違うのです。しかも、いっしょに受験に行った級友たちはそれほどでもなかったらしく、「あそこの答えはこうだ」などと話し合っています。ネイティブの英語とはこんなにわからないものなのか、自分の耳は他の人に比べてもそんなに「英語が聞こえない耳」なのか――とかなり落ち込んだのを覚えています。 なんとか合格することはできましたが、これではいけない、なんとかしなければなりません。しかし、田舎のことです、教えてくれる人もいないし、今のように英語の教材なども乏しい時代です(あってもべらぼうに高い)。独学で、しかも安く学べる方法はないのか?――そして、思いついたのが「ラジオ英会話」。これなら、毎日放送しているし、お金もテキスト代しかかからない。さっそく、10キロ以上も離れた最寄りの本屋からテキストを毎月郵送してもらうことにしたのです。 さて、テキストも手配し、「さあ聞こう」と思ったら問題はラジオ。私の中学時代は、「ちびまる子ちゃん」の時代とほぼ同年代なので、なにしろ、まだラジカセも普及していません。現代のように安くて小型のラジオなどありません。持ち運びができるラジオといえば、「トランジスターラジオ」(当時の価格1万円程度)。英語を学習するならこれがいいと思った私は、「英語勉強するからラジオ買うて」と切り出してみるも、案の定、親:「ラジオならあるやないかね」と予想通りの返事。 そのラジオとは、両親が結婚記念に買ったという「真空管ラジオ」のことで、物置きに使われている部屋でホコリを被っていた時代物。冗談じゃない、あんなダサイもんで英語の勉強ができるか!と、私:「あんなぼろラジオじゃ話にならん、第一恥ずかしくて人にも言えん」、親:「人に言うこといるかね(言う必要はない)。ラジオはラジオ、ちゃんと入ら問題なかろうね」、私:「今どき、誰もあんなラジオ聞きよらんちゃ!トランジスターラジオ買うて!」、親:「そんな無駄なお金がどこにあるかね」、私:「トランジスターラジオくらいみんな持っちょる!」、親:「みんなって誰がおるかね」、私:「ハラダくんとか…」、親:「ハラダくんだけやろね。あんたの"みんな"は当てにならん」、私:「ケチ!!こんなビンボーな家、出て行っちゃる!」、親:「ああ、いつでも出ていけ!」というわけで、当時、事業の関係で、保証人になったばかりに多額の借金を背負うことになった両親としては、少しでも出費を減らしたかったのかもしれませんが、思春期の頃というものは微妙な年代で、ちょっとミジメな気持ちになったものです。 ともあれ、買ってもらえないものは仕方がありません。物置部屋のダサいラジオで「ラジオ英会話」を聞くことになったのです。春夏秋は良いものの、冬は暖房もなく震えながらの学習でした。 |