Last update August 25, 2019

英語の独学――管理人の場合 (5)







そしてチャンスがやってきた!

こうして、英語に出会い、英語の独学を始めた中学校時代を終えて高校へと入学。クラブ活動はもちろん ESS に入りました。日本人同士が一生懸命英語でしゃべろうとしているのがどことなく「滑稽(こっけい)」だったのか、茶化して「エッサッサ」などとも呼ばれていました(真剣に英語を習得しようとしている者にとっては「ほっといてくれ!」という感じですが)。

ところでこの ESS という名称は English Speaking Society の略称だったのですが、今にして思えば、これって正式な英語なんだろうか――ということです。ちなみに、英英辞典で ESS を調べてみると、Electronic Switching System だの English Springer Spaniel (これは犬の種類ですね)、English Summer School (まあ目的としては近そうです)などはあるのですが、English Speaking Society というのは見つかりません。

それはさておき、それでも、いつか英語が話せるようになる日をめざして、細々と活動を続けていたのでした。ときおり、昼休みなどにお弁当を食べながら、アメリカに留学していたという英語の先生が加わって、ぼちぼち会話になるかならないかのような英語を話していたわけです。

そんなある日のこと、担任の先生がアメリカへの交換留学の話を持ちかけてくれました。「推薦するから行ってみないか?両親と相談して決めなさい」ということでした。「いよいよ私にもチャンスが!」とわくわくしながら(でも「無理かもしれないな」という一抹の不安も感じながら)家に帰って親に話すと案の定、結果は No でした。前述のように、父親が借金を背負ってしまっていたので経済的に無理だとは思っていましたが、「お金は借金してでも行かせてやりたいが、それよりもそんな遠くまでやるのは心配だし、何かあってもすぐに駆けつけることができない」というのです。

そこまで言われると、親に負担や心配をかけてまで無理して行くのもいかがなものかと考え、それ以上は主張しませんでした。まあ私も長女ですから、第一子というものは、どうしても親や家のこと、兄弟のことなどを考えすぎるもので、損な役まわりなのです。余談ですが、これは大人になって社会人になっても変わりません。兄弟を助けたり、年老いた両親のめんどうをみるのも、いつの間にか自分の役割になっています。ともかくも、そういうわけで、あっさり「お流れ」になったアメリカ留学の話でした。

しかし、今になって思うのは、「あのとき行かなくてよかった」ということです。これは決して負け惜しみなどではなく心からそう思うのですが、自分という性格を考えると、あのとき行っていれば、「自分はアメリカに留学してきた」というヘンなプライドがついて(今では特にめずらしいことではなくなりましたが)、「もう自分はできるから」と勘違いしてそれ以上の努力はしなかったかもしれないと思うのです。たかだか1年の留学でそんな深いものが身につくはずはありません。あのとき中途半端にアメリカなどに行っていれば、今の自分はないと思うのです。行かなかったからこそできた発想や発見もなかったと思います。

というわけで、その話を辞退し、代わりに他のクラスの男子生徒が行くことになりましたが、そんな自分に訪れたのがセカンドチャンスでした。

「交換留学」なので、当然、行く生徒もいれば来る生徒もいるわけで、アメリカから交換でやってきたのが青い目の女子生徒でした。女の子ということもあり、「慣れるまでしばらくサポートしてやって欲しい」ということで、彼女は私たちのクラスに配属され、私の後ろの席に座るようになりました。初対面の日、職員室で待っていた彼女に Let me introduce myself. My name is... などと話しかけたのを覚えています。それからというもの、学校の活動では、彼女の専属の「通訳」のようなことをやらせてもらい、おかげで日常会話のスキルも身につくことになりました。

想定外の領域に上達のチャンスがある!

ちなみに、「通訳」や「ガイド」をやったことのある人にはよくわかると思いますが、「え?これ、訳すの?」とか「ありゃ~」という予測不能のシチュエーションが多々あるものです。

ある日のこと、最近男の子が生まれたばかりだという先生が、教室でその話をしたのです。「ronde、訳しなさい」と言われて「はいはい」ということで訳していたのですが、「最近男の子が生まれた」(これくらいは簡単ですよね)、「そしてあるときオムツを変えていたら…」(まあこれもいいのですが、なんだか雲行きあやしい?)、「上の娘(まだ小さい)が息子の○○を見て、私も欲しい!と言いだして…」(やっぱりそう来るか)という話になったのです。

先生:「ちゃんと訳せよ」という視線、みんな:「さあどうする?」という好奇の視線。ここで「やだ、そんなの訳せません」と逃げるのも手だとは思いますが、それはやりたくないですよね。問題は「息子の○○」をどう処理するかです。当時は、まだ清純無垢(?)の高校生ですから、その実際の英単語も知りませんでした。しかし、考えている余裕はありません。で、とっさに思いついたのが(というか、これしかない?) His daughter looked at the thing only a boy has... と表現したわけですが、彼女も決まり悪そうに笑っていたのでたぶん通じただろうと思います。

もう1つ、これは「苦い体験」で、彼女には本当に申し訳なかったのですが、何かの活動でみんな校庭に集まりなさいということがありました。そのときに彼女が Can I go to the gxxx room? と聞いてきたのです。この下線の部分が「聞き取れなかった私は、なんだかわからんけどどっかに行ってるヒマはないと判断し、Sorry, we don't have time と答えて、彼女も OK ということで、いっしょに校庭に行ったのですが、活動が終わり教室に戻ろうというときに彼女がまた聞いてくるのです。Can I go to the gxxx room? と――そのとき、やっと気づいたのが girl's room、つまり「トイレ」だったのだ!ということです。

アメリカの発音は「R」が強く入るので「ギア~ルズ」のように聞こえて何のことかわからなかったのです。彼女のほうもそれほど差し迫っていなかったとは思いますが、本当に悪いことをしたと猛反省、必死であやまりました。優しい性格の持ち主なので、 Never mind と言ってくれましたが、つくづく「わかったフリをして聞き流してはいけない!」と思いました。

そんなわけで、失敗談もありましたが、それまであやふやだった母音の発音や英語の言いまわしなど、彼女をお手本にして学ばせてもらったことも多かったと思います。

教訓その6
英会話といっても、テキストのように筋書きどおりに話は進まない。突発的なシチュエーションが起こるのがあたり前である。しかし、そういった想定外の部分や突発的なところに「上達のチャンス」がある。もちろん、単語や決まり文句を覚えたりという普段からの努力は欠かせないが、それをベースに、「大きく飛ぶ」覚悟が必要である。つまり、「どうしよう!困ったな」という状況は(生きているかぎり)必ず起こる。そんなときに大切なのは「どうしよう!」とひるむのではなく、そんな時間があれば「何か方法はないか!」と考えることでどうにか乗り切れるはずだ。

教訓その7
とくに日本人に多いようだが、「わかったフリ」をしてはいけない。確かに、「わかったフリ」をして聞き流す問題のない内容もあるが、そうでないこともある。かといって、わからないので「聞き返し」ばかりとなるとお互いに疲れてくるので、普段の学習を積み重ねて、「たぶんこうかも」という勘が働くようにしておきたいものである。


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