Last update August 27, 2019

コラム:英語学習について考える

可能性広がる若年層の英語学習 (1)



生まれた時代が悪いのか?

今の若い人たちの置かれている状況には、厳しいものがあるかもしれません。

オヤジ世代が若いころは、男女の差はあったとしても、とりあえず大学出ていれば職につけたし、大企業にでも入社しようものなら、あとはエスカレータ式に最低課長までは出世。終身雇用制度で将来は安定、クビになる心配はない。英語がちょっとできればなおさら良い。「アメリカに5年いました」と言えば、たとえ親の金で遊んで暮らした5年間であっても、「アメリカ帰り」として優遇されたり…。

ところが、今の時代、アメリカの大学を卒業していてもさほど優遇されることもなく、派遣社員すら難しいこともある。正社員になれても、リストラされた中高年の代りに安い給料で同じ仕事をやらされたりする。おまけに高齢化社会とやらで、人数の少ない若手労働者が、人数の多い高齢者を養っていかなければならないなんて… こんな時代に生まれるんじゃなかったよ。とは言っても、生まれる時代を選べるわけもなく、今この厳しい時代に置かれているのが現状です。

しかし、こんな時代でも、良い面がないわけではありません。年功序列や終身雇用で守られていた時代は、確かに安定はありますが、集団重視主義であり、あくまでも集団としてのパワーが重要視された時代です。そこに、才能や能力の高い一個人がいたとしても、「出る杭は打たれる」という言葉のごとく、閉鎖的な組織で生きていこうとすれば、抜きん出た「個」としての存在は邪魔者以外の何者でもありません。

極端な言い方をすれば、特殊な才能は出してはいけない、人と異なった能力は必要ないという暗黙の価値観があったのです。組織の中で生きるために、自分の持っているものを押し殺しながら、周囲と歩調を合わせて横並びの行進。集団の中で埋没して生きていくというのは、個性ある個にとっては、辛く苦しい部分があったのです。

そして、今こういう時代になって、いきなり企業は個人に問いかけるのです。「キミは個人として何ができるのか?」と。

会社も勝手と言えば勝手ですが、別の見方をすれば、良い意味での「個人主義の時代」が訪れたのではないか、ということもできるのです。一人一人の持っている才能やつちかった能力を表に出しながら生きていくことのできる時代。本物が本物として評価されていく可能性のある時代。個性が輝く時代、そういう時代がいよいよ到来しているのかも。そんな時代に、まだ若者でいられるということは、なんとラッキーなことか、自分の可能性を余すことなく試すことができ、個性や才能を活かしながら生きていけるのです。





人とは違ったことをする

もちろん、人とは違ったこと、人にできないことと言っても、社会のルールや人の道を踏み外すことではありませんね。

最近とくに「短絡的な」思考が目立つようですが、人間としてのルールや決まりを守れないのは、ひとつは精神の脆弱さかもしれません。じゃあどこまでが「個性」でどこからが「悪いこと」なのかということになりますが、人を苦しめない、迷惑をかけないというのは人間社会での共通のルールです。これは、相手の立場に立って考えてみれば容易にわかることであり、一般常識が守れない言い訳として「個性」という言葉を使うのは避けなければなりません。

一口に「人とは違ったこと」と言っても実際は難しいものがあります。

とくに日本人は「個人」を重視する生活環境、教育環境にありませんから、まわりの人がやっていることをとりあえずやっておこうといった発想になりがちです。隣の子供が英語を習いに行っているからウチの子も、みんなが留学しているから私も、TOEIC の勉強しているから自分もなど、右にならえをしてきた結果が、今のような英語はできても就職がないという状況を生み出したのかもしれません。TOEICTOEFL ○○点以上、英語圏で大学を卒業といっても、他に同じような能力の人が大勢いるわけで、結局、人と違ったことや人にできないことにはならないわけです。

点数をとるための勉強が悪いと言っているのではありません。しかし、それをやっている人が多いわけですから、当然、競争率は高くなり、自分へのチャンスはそれだけ低いものになってくるのは言うまでもありません。

英語のスキルだけでいいのか?

これから先、英語ができるという人は過剰傾向にありますから、たとえば TOEIC 900点というだけではあまり差別化にならないでしょう。筆者も翻訳などを依頼する側に立つこともありますが、翻訳者を採用する場合、TOEIC の点数などはあまり当てにしていません。もちろん、英語のレベルが低すぎると話になりませんので目安にはしますが、それだけでは、はっきり言って何の役にも立ちません。

たとえ TOEIC の点数がさほど高くなくても、知識の広さや深さ、文章がきちんと書けるか、サービス精神があるか、想像力と創造性、責任感や人格はどうか、といった面でOKであれば採用する可能性は高くなります。逆に点数が満点だったとしても、英語の知識しかなくて一般常識も知らない、専門分野がない、文章も下手、頑固で気が利かない、おまけに高慢な性格… などであればまず採用しません。しごくあたり前のことですね。

よく言いますが、英語とは手段。それを使ってどんなことができるのか、どんな知識を英語で表現できるのかが大切です。そういう意味では、スコアの高さはたいして参考にならない場合もあるのです。





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