「通弁」クリエイティブ翻訳

Copyright (C) Tuben. All rights reserved. Any reproduction or use of the contents is prohibited. 当サイトの内容の無断複写・転用はお断りいたします。
「通弁」クリエイティブ翻訳

Since 2006. Last update November 21, 2018. Copyright (C) Tuben. All rights reserved.
Any reproduction or use of the contents is prohibited.

当サイトの内容の無断複写・転用はお断りいたします。

論理的な英語と理屈の日本語表現

ここでは、言語表現における「論理性」について考えてみたいと思います。

英語の論理性

「英語の論理性(ロジック)」などというと、わざわざ「難解な話」を持ち出しているような印象を与えるかもしれません。しかし、「ロジック」とはそういうことではなく、むしろ話をわかりやすくするためのものなのです。

誤解や矛盾を無くし、情報を発信する側と受ける側が共通の認識に立って理解するための考え方のルールということができるでしょう。

では、そのロジックとは具体的にどういうことなのでしょうか?一般的な論理の考え方として、大きく2つの方法があります。

1つは、演繹えんえき法と呼ばれますが、普遍的・一般的な事実を前提として、そこから別の事実を導き出す考え方で、その代表的なものが「三段論法」です。たとえば
「動物には生命がある」(大前提)→「犬は動物である」(小前提)→「犬には生命がある」(結論)

となります。

2つ目には、帰納きのう法があり、経験的な事実をいくつか集め、そこから一定の共通点を探り出し、それらを総合的に説明できる一般的な結論を出すことです。たとえば

「この業界では、Aという課題を抱えている企業が多い」→「同じ業界にある企業BもAという課題を抱えているはずだ」

というようなことです。

どちらも言われてみればごく当たり前のことですが、この「当たり前」の考え方を枠組みにして情報を発信し、受け取るということが、日本語・英語間の翻訳ライティングではなかなか骨の折れる部分でもあります。

こういったロジックの枠組みを取り入れ、論理的に考えるには、ある程度、批判精神(あら探しをするという意味ではなく、問題意識を持つということ)を働かせて情報を処理していくことが求められます。

日本では、特別にこういった教育や訓練はしていないため、議論の場になると、お互いの「共通認識の領域」を作らずに、そのまま自分の立場や自分なりの理屈で主張するばかりで終わってしまう場合が多いようです。

「日本人」という単一民族であっても、現代に生きる私たちの考え方も多様化してきています。お互い言おうとしている意見は根底では同じであるにもかかわらず、それぞれが違った言い方や理屈で主張する場合もあります。

その結果、議論が平行線をたどり、やたら気まずい思いだけが残るということになります。また、同一の言葉であるにもかかわらず、両者の持っている言葉の定義やイメージが異なるために誤解が生まれるということもあります。

よって、日本語から英文ライティングを行う場合、誤解や意識のズレなどを最小限に抑えられるよう、最終的に読む人は誰なのかという対象を頭に置きながら、「こういった表現をするとこう取られないか」といった意識上での議論を行いながら進めていく必要があります。

日本語の論理性

これは、日本語の文章が、論理的裏づけを無視して書かれているというわけではありません。ただ、日本語の文章の特性上、厳格に表現されない部分があり、そのため論理が飛躍を起こしているということがあります。また、書き手の独自の理屈のなかで完結しているため、普遍的な理論にまでなりきれていないという場合もあります。

たとえば、

「当社では、高品質の部品を通じて、機械業界、そして社会に貢献します」

という文章があるとします。日本語で読んだ場合、別に違和感はありませんが、このまま英語に翻訳しようとすると不自然さを感じるのです。

「高品質の部品によって機械業界に貢献する」というのは、「機械の部品」として使われるだろうという前提があるので理解できます。ところが、「部品で社会に貢献」という箇所がしっくり来ません。つまり、「前提」が明確に見えないからです。

問題意識を持って分析すると、「なぜ部品が社会貢献なのか」、「部品で社会貢献とはどういうことか」ということになります。寄付やボランティア活動で社会に貢献はわかりますが、部品自体が社会に貢献というのはすんなりつながりません。そこに引っかかってしまうと、読む・理解するというスムーズな流れがさまたげられてしまいます。

そこで、「部品を使った機械が社会で使用される」それによって、「間接的に社会に貢献する」といった普遍的に通用するロジックの流れを作ることが必要なのです。

前述した三段論法に当てはめると、

「部品は機械に使用される(貢献する)」(大前提)→「機械類は社会で広く使われる(貢献する)」(小前提)→「部品は社会で使われる(貢献する)」(結論)

といったロジックの流れを確立したところで、このロジックの流れが見えるような文章表現をするわけです。

もちろん、日本語は非論理的な言語だから劣っているとか、日本語の文章に問題があるということを言っているのではありません。

日本語とは、言葉や表現を自由に組み合わせてこそ、日本語らしさがあり、曖昧さのなかにその心地よさとおおらかさがあります。しかし、英語化する場合には、情報自体を厳密に吟味し、明確な構造にしていく必要があるということなのです。