Last update August 2, 2022

はじめに――なぜ冠詞が生まれたのか? (3)

そのルーツは指示詞の that

冠詞が登場したのは千年以上も前のことであり、当然のことながらそれに関する記録が残されているわけでもないので、「こういうことがあって→こうなって→冠詞が登場した」といった明確な因果関係を確立することはできません。つまり、冠詞が登場した理由を突き止めることはできません。ですから「なぜ」というよりも、結果として、「どのような背景で登場したのか」ということを問題にするしかないのです。

それも、「ある日突然冠詞ができた」というのでもなく、流行語のように有名な文法学者が使うようになってそれが定着したというわけでもありません。あくまでも、残されている資料や文献をもとに「こうであっただろう」という仮説を立てるしかないのですが、冠詞が登場したのは、古英語と言われる時代(450~1100年)と言われています。そして、そのルーツになったのが「あれ、あの」という意味の that だとされています。

ここで言う「冠詞」というのは「定冠詞」(the) のことで、まだ「不定冠詞」(a/an) は登場していません。ほとんどの冠詞を持つ言語に共通することですが、まず「定冠詞」ができて、その後で「不定冠詞」が登場します(英語では12世紀に one を意味する an から派生)。定冠詞だけで不定冠詞のない言語もあり、不定冠詞は正式には数詞であり冠詞ではないとする考え方もあるようです。




では、どのようにして that が定冠詞になったのでしょうか?

一言で言うと、that の「あの人、あれ」などと実際に、物理的なものを指差してものを「参照」する性質(役割)がだんだん薄れて定冠詞になっていったという説があります。もっと具体的に言うならば、多くを語らない日本人ならよくわかると思いますが、
「ところで、あの件どうなった?」(What happend to that matter?)
というときの「あの」に近いと言えます。ここで言う「あの」とは、実際にそこにある何かを指し示しているわけではありません。しかし、聞き手との共通の経験や過去の会話から具体的に何を指しているかわかるわけですね。この場合、実際に何かを指し示しているわけではないので、that の持つ「あの」という意味合いが弱まっていると言えます。こういった指示性の弱い that の用例から、前述の名詞を特定する定冠詞が生まれたわけです。

その具体的な過程については、文法学者の間でも諸説ありますが、ざっくりと表にすると下記のようになります。