Last update August 1, 2022
はじめに――なぜ冠詞が生まれたのか? (2)
もともと冠詞はなかった
そもそもなぜ「冠詞」なるものが必要なのか?日本語だって冠詞はないが別になくても困らないし、英語だって冠詞がなくても通じるはずだと思ってしまいますよね。
ちなみに、世界には冠詞を持たない言語だってたくさんあります。むしろ、冠詞を持つ言語のほうが少ないわけで、その数は世界中の言語のうち3分の1にしかすぎません。日本人にとって人気の高い英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語などゲルマン系、ラテン語系の多くの言語には冠詞がありますが、そういった言語は西ヨーロッパに多く分布していて、ロシア語やウクライナ語には冠詞はありません。また、英語などのように定冠詞と不定冠詞の両方を持つ言語はわずか8%だと言われています。
じゃあなぜ英語には冠詞があるのか?なければどんなに楽か――と思うかもしれませんね。ところが、英語だって昔は冠詞はなかったのです。英語だけではなく、ドイツ語もフランス語など、先に挙げたゲルマン系・ラテン系の言語もすべて冠詞のない言語でした。「そんな良い時代があったのか。ぜひその時代に英語を学びたかった」などと思う人はいないでしょうが、早まってはいけませんね。「かつては」と言っても何十年昔の話ではなく1000年くらい昔(専門的には「古英語」と言われる時代)のことで、「冠詞」がなくても、非常に複雑な語尾変化があったのです。
ちなみに、どんな語尾変化かと言うと、まず名詞には、文章中の他の語に対して持つ関係を表す「格」(case) というものがあり、それに合わせて名詞の語尾が変化したわけです。強引に説明すると、日本語の「てにをは」のような語尾を名詞につけたものだと考えればわかりやすいと思います(言語学的には日本語の「助詞」とは異なります)。
当時の英語には、「主格」(nominative)、「対格」(accusative)、「属格」(genitive)、「与格」(dative)、「具格」(instrumental) の5つの格がありました。もっとも、「具格」はだんだん「与格」と統合されるようになったので事実上は4種類ですが、1つの名詞の語尾が単数・複数の変化も合わせて8種類に変化していたのです。
たとえば、「犬」を意味する hund を例にすると、下記の表のようになります。
格 |
単数形 |
複数形 |
主格(犬・犬たちは) |
hund |
hundas |
対格(犬・犬たちを) |
hund |
hundas |
属格(犬・犬たちの) |
hundes |
hunda |
与格(犬・犬たちに) |
hunde |
hundum |
まあ、これだけならそれほど複雑ではなさそうですね。ところが、1種類しかない日本語の「てにをは」とは異なり、英語では、名詞の種類によって、この語尾変化も異なっていました。今度は、「太陽」を意味する sunne の語尾変化を見てみましょう。
格 |
単数形 |
複数形 |
主格(太陽・太陽たちは) |
sunne |
sunnan |
対格(太陽・太陽たちを) |
sunnan |
sunnan |
属格(太陽・太陽たちの) |
sunnan |
sunnena |
与格(太陽・太陽たちに) |
sunnan |
sunnum |
というふうに、いくつかのパターンがあり、名詞ごとにパターンが決まっていたわけです。「もういいです。さよなら~」と言いたくなりますね。
ついでに言えば、古英語には、格変化に加えて、名詞には「男性」(masculine)、「女性」(feminine)、「中性」(neuter) の3つの「性」(gender) があり、名詞につく形容詞も、単数・複数の変化も加えると合計6種類の変化をしていました。さらに、動詞も3つの人称 × 単数・複数で6種類の語尾変化をしていたのです。いかがですか?まだ「冠詞」のほうがマシかもしれませんね。
では、次のページではいよいよ「なぜ冠詞が登場したのか?」について考察してみましょう。
|