日本と英語あれこれいつの間にやら2002年ももう半ば、あっという間に月日は流れていく。感傷的になっても仕方がないが、世の中に蔓延する「先行き不安」がどっしりと国全体を被っているようだ。日本も情けないことになってきた。1年前にはささやかな期待を抱いていた小泉内閣も、今や暗い陰を落している。世界における日本としての生き残りの道は何なのか――といったことをいつになく考えてしまう。自分個人が考えても仕方ないことだとわかりながらも。 テレビで韓国の構造改革の成功について特集している。3年8ヶ月でIMF体制を卒業したそうだ。痛みを伴いながらも思いきった改革だったとか。それにひきかえ日本はどうなのか?「痛みを伴う改革」というスローガンは何度も聞いたが、この1年何も変わっていない。着々と進んでいるということらしいが、そのカケラも見えない。政治体制の違いもあるだろうが、それにしてもなぜこんなに違うのか?どうも、何に対しても「歯切れ」の悪いニッポンである。 このままではあと20年もすると、日本は完全に世界から忘れられた存在になるのではないか。訳のわからない、対応のお粗末な国というレッテルを貼られたまま、重要性のない、国力の衰えた名実ともに小さな国にグレードダウンするような気がする。文化や考え方などにユニークな面を持ちながらも、どこかで「沈黙が金」だと信じて、英語のヘタな日本は、諸外国との対面コミュニケーションにも積極的になれず、島国根性を引きずったまま、「ヘンな国」という誤解(?)をされたまま、押し寄せる国際化の波に揉まれながら、飲みこまれて、アイデンティティも行方不明になっていく。さようなら、ニッポン。 もちろん、これは最悪のシナリオである。では、成功のシナリオはどうだろう? 何度も「底をついた」と言われ続けた「景気」のほうもいよいよ本物の底をついたらしい。また、小泉内閣の構造改革もようやく重い腰をあげ、日本的な体質は残しながらも、決してスピーディとは言えないが、少しずつ効果を見せ始めた。痛みも伴っているが、何となく先が見えてきたのが少し明るい。 20年経過。英語学習熱は依然として高いが、このところ少しだけ様子が変わってきている。一昔前のファッションとしての英語ではなく、実用的な異文化との対話手段としての英語教育である。英語を学ぶものは日本の文化や考え方にもよく精通し、それを諸外国に堂々と説明できるという能力が問われるようになった。日本文化検定やNOEICとかいった資格や基準に対する勉強もさかんだ。学校の授業でもパブリックスピーキングなどのカリキュラムが取り入れられてきている。 いろんな国の人たちが集まって食事会となった。"What would you like to have?" と問われて、まず日本人は"I don't know. Anything is O.K." という主体性の無い答えを言う。それを見ていた他の国々の人たちは"O.K. I'll have XXX." などと言いながら、それぞれの国の人がそれぞれの食べたいものを注文する。日本人は最後の人が注文したメニューを指して"The same for me, please." と答える。しかし、誰もこういった日本人の態度に対して疑問を抱く者はいない。ここ最近の日本文化の本質や日本人の考え方についての深い考察がさかんに紹介されたり、個々の日本人が英語でそれぞれに説明してきたおかげで、みんな「日本人はそんなものなんだ」という暗黙の了解をしているからだ。 ここはビジネスの交渉の場である。自社の商品を熱弁をふるってアピールしたアメリカ人が、最後に日本人バイヤーに尋ねる。 "So, what do you think? You will regret if you don't buy it now." "I think good. Excellent product." "So, are you buying it?" "Yes but No. I talk to Boss. Boss talk to Big Boss. Big Boss say Yes, then it's yes. Then, we buy. We need 3 months. We answer after 3 months." "O.K. I can wait for 3 months." といった会話が展開している。英語の表現も以前に比べたらずいぶんカンタンなものになっている。悪く言えば稚拙になっているが、これが典型的なジャパニーズ・イングリッシュである。いまやジャパニーズ・イングリッシュ(JE)が世界にも認知されているので、相手のアメリカ人もそれに合わせて簡単な言いまわしを使う。ちなみに、このJEを話す日本人は全人口の約8割である。いまやJEで事足りるため、商談であれ、政治的な会談であれ、通訳は要らない。また、日本独特のグレーゾーンである「YESとNOの中間」といった概念もよく浸透しているので、誤解もほとんどない。 かっては欧米の考え方のみが世界の基準となるような傾向もみられたが、日本の「中間思想」やグレーゾーンを扱う「第三の選択肢」といった考え方がきっかけとなり、様々な価値観が調和・共存している時代となった。日本は「調和の国」として諸外国から尊敬されている。いまや異なった国、人種、文化、考え方などがモザイク模様をなしながら調和し、まさに21世紀にふさわしい「地球市民」の時代である。「グローバリゼーション」とか「国際化」といった言葉もそろそろ死語となりつつある…。 こんな未来を夢見て、今日も一日、ストレス解消のためにせっせとこんなとりとめのないことを考え続ける自分である。 |
|
|