Last update May 28, 2021

北の国の民族ゲルマン人 (2)

ゲルマン人社会

それでは、当時のゲルマン人の社会をのぞいてみましょう。当時の社会は、自由民 (free men) と呼ばれる人々が王を選出し、その王と自由民との直接的な従属関係で成り立っていました。また、初期のころの法律では、人間一人一人に対する人身価格 (weregild) が決められていて、殺人や傷害事件の起こったさいには、被害にあった人物の価格に応じて賠償金が支払われていました。

たとえばアングロ・サクソン人では、平均的な自由民の価格は金貨200枚で、これが貴族になると1200枚となります。奴隷の場合は「所有財産」の扱いになるため、自由民ほど高くはありません。たとえば、一人につき金貨15枚とか、優れた職人であった場合は40枚~50枚といった設定になっていたようです。女性の自由民は、男性のような社会的地位は認められていませんでしたが、夫(未婚の場合は父親)が亡くなるとその地位を引き継ぐことができました。また、女性の人身価格は、同じ地位の男性の2倍の価格をつけていた部族もあったようです。

ゲルマン人にとって、領土の拡大や資源の獲得の手段として欠かせないのが「戦争」でした。戦争と言っても、ギリシアやローマのような「対戦」という戦い方ではなく、もっぱら少数人数による襲撃が中心でした。武器は斧やジャヴェリン (javelin) という投げ槍、突き槍、弓矢、長い刀などを使っていました。また、スエビ族 (Suebi) の兵士のように、勇ましさを表すため、髪を結んで、スエビアン・ノット (Suebian knot) CHECK )と呼ばれるヘアスタイルをしていたと言われます。

また、結婚についてですが、男女とも立派な大人になってからというのが一般的で、思春期は恋愛などにかまけず、ひたすら人生の修業を積む時期でした。女性も、ローマの女性にくらべて婚期も遅く、うら若い身で結婚を急ぐということもありません。ちなみに、7世紀ごろの西ゴート (Visigoths) の法律によると、男女とも20歳を成人とし、それ以降に結婚をしていたようです。

キリスト教以前のゲルマン人の宗教もケルト人と同様に、自然崇拝や予言、動物や人間の生贄いけにえを捧げる儀式などを行っていました。ゲルマン民族に共通の神話もあり、北欧神話ではオーディン (Óðinn)、他の部族では、ヴォータン (Wotan)、ヴォーダン (Wodan) などと呼ばれる神をはじめさまざまな神々が登場します。キリスト教に改宗してからも、しばらくの間は、それまでの信仰の儀式や風習が完全になくなることはありませんでしたが、今日にも残っているものとして「クリスマスツリー」があります。これはゲルマン人が、「森」は神聖な場所であるとして敬っていたことに由来すると言われています。

こうして、多神教を信じていたゲルマン民族も徐々にキリスト教に改宗していきます。ゴート族 (Goths)ヴァンダル族 (Vandals) など、まずアリウス派 (Arianism) に改宗し、その後でカトリック (Catholicism) に改宗する場合が多かったようですが、フランク族 (Franks) のように直接カトリックに入ってきた部族もありました。

ゲルマン民族の大移動

5世紀になると、ヨーロッパの民族分布を塗り変える大きな移動が起こるようになります。とはいえ、すでに2世紀後半ごろから移動を始めていたゴート族は、ポーランドで最長の川であるヴィスワ川 (Vistula) 下流から黒海 (Black Sea) 沿岸地域に南下しています。また、他のゲルマン民族によるブリテン島への移動もすでに始まっていたようです。北方を起源とする民族であったため、厳しい寒さが原因だったのかもしれません。

ゴート族はその後も東寄りに南下し、4世紀にはウクライナのキエフあたりにまで移住を続け、ローマ帝国の国境をおびやかすようになっていました。そんなゴート族の移動に拍車をかけたのが、中央アジアを起源とするフン族 (Huns) の黒海沿岸地域への進出でした。なんでもエルニーニョ・南方振動 (El Niño-Southern Oscillation) による大干ばつがその要因だとされていますが、このフン族の移動が引き金となって、多くのゲルマン民族が移動を始めたのです。

大ブリテン島 (Great Britain) をはじめ、広範囲にわたる地域への移住が行われ、追い出された民族が別の民族の住む土地に移動し先住民族を追い出したり、土地をめぐる争いなどの混乱が続きます。西ゴート族や東ゴート族、ランゴバルド族 (Lombards) はイタリアへ移動し、ヴァンダル族、ブルグント族 (Burgundians)、フランク族、西ゴート族はガリア地方 (Gaul) を占領し、さらに、ヴァンダル族と西ゴート族は、現在のスペインにも移り住み、ヴァンダル族は北アフリカまで移動します。そして、アレマン族 (Alemanni) はライン川中流とアルプスに定着していきます。ブリテン島に移住したのは、ユトランド半島 (Jutland) に住んでいたジュート人 (Jutes)アングル人 (Angles)、北ドイツ出身のサクソン人 (Saxons) で、この3つの部族は互いに同化・統合しながら、先住のケルト人を吸収し、アングロ・サクソン人 (Anglo-Saxons) という1つの民族を形成していくことになります。

こうしたゲルマン民族の移動による激動のなかで、ローマ帝国 (Roman Empire) は次第に弱体化し、東西に分裂することになります。


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