北の国の民族ゲルマン人 (1)
西ヨーロッパを形成した人々
ケルト人 (Celts)、ラテン人を含むイタリック人 (Italics)、そしてゲルマン人 (Germans)――これで、ヨーロッパの歴史に登場する3大民族がそろったわけですが、なかでも中世から現代にいたるまでの西ヨーロッパを形成するうえで、最大の影響を与えたのがゲルマン民族だと言えるでしょう。ちなみに、現代のヨーロッパの国々をみても、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、ドイツ、オーストリア、北イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、北部・中部フランス、スコットランドのローランド地方、イギリスなど、多くのゲルマン民族の末裔と呼ばれる人々が住んでいます。
古代はケルト人やラテン人の活躍する時代でしたが、いわゆるゲルマン民族大移動 (Migration Period; Barbarian Invation) によって、ヨーロッパは中世の時代に入っていきます。ブリテン島にやってきたアングロ・サクソン人 (Anglo-Saxons) もゲルマン民族の一派であり、フランスの前身であるフランク王国 (Francia) を建てたフランク人 (Franks) も、8世紀ごろから西ヨーロッパ沿岸を襲撃したヴァイキング (Vikings) もみなゲルマン人なのです。
そして、ゲルマン民族が話していた言語がゲルマン語であり、私たちが学習している英語も、元をたどればゲルマン語から発展した言語です。そう考えると、最も親近感を感じるのがゲルマン人かもしれませんね。
ゲルマン人のルーツ
前述のように、ヨーロッパの古代史を形成した主な民族が、ケルト人、ラテン人(イタリック人)、ゲルマン人であるわけですが、この3つの民族はもともとインド・ヨーロッパ語 (Indo-European languages) を話す同じ民族です。その人々のうち、西側の内陸部に移動したのがケルト人で、イタリア半島に移住したのがイタリック人、そして、北ヨーロッパへと移住した人々がゲルマン人というわけです。
ゲルマン人の直接のルーツである原始ゲルマン人 (Proto-Germanic) が登場したのは、紀元前1700年~500年ごろの北欧の青銅器時代 (Nordic Bronze Age) の南スカンジナビアで、戦斧文化 (Battle Axe culture) と呼ばれる文化を持っていました。そして、鉄器時代 (Iron Age) になると、分派したさまざまなゲルマン部族が南下を始めます。先に住んでいたケルト人を追い出しながら、より住みやすい地を求めて南へと移動し、古代ローマとも対立するようになっていきます。
ちなみに、Germani という言葉の語源ですが、ケルト語の一派であるガリア語 (Gaulish) の ger (= near) 「近くの」と mani (=men) 「人々」という意味から来たのではないかという説があります。これ以外にも、「騒がしい」という意味の garm; gairm というケルト語や、ゲルマン語源の gēr-manni (= spear men) 「槍を持つ人々」が語源ではないかという説もありますが、いずれも発音的に無理があるようです。
さて、「ゲルマン人」を意味するゲルマニ (Germani) という言葉が歴史に登場するのは、ローマ共和制 (Roman Republic) の時代のジュリアス・シーザー (Julius Caesar) によって紹介されてからです。シーザーによると、おおよそライン川 (the Rhine) の東、ドナウ川 (the Danube) の北の地域をゲルマニア (Germania) と呼び、そこに住んでいた人々をゲルマン人と呼んでいたようです。ゲルマニアとは、現在のドイツ、ポーランド、チェコ、スロバキア、デンマークとほぼ重なる一帯を指しています。そして、その西側にはケルト人の一派であるガリア人 (Gauls) が住んでおり、これがローマ時代の民族の勢力地図だったのです。
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