日英言語構造、文化の違い (3)
また、英語と日本語は赤の他人であるだけではなく、言語が形成される途上において、言語表現のしくみに影響を与える交流はありませんでした。 一方で、英語とヨーロッパ言語は数多くの語彙を借入しています。またキリスト教以前、古代の西洋文化の発祥地であったギリシア、ローマの言語を源とする多くの言葉があり、英語、ヨーロッパ言語の間で共有されています。語彙を共有しているということは、単語レベルでの「発想」「考え方」が基本的に同じであるということで、ヨーロッパ語を母語とする人たちが英語を習得するのもそれほど難しくないわけです。 ところが日本語に関しては、言語の生成期において、英語からの語彙借入などはありません。近年になって流入してきた「外来語」であっても、本来の英語の形や意味、ニュアンスをそのまま残しているものは少ないと言えます。つまり外来語と英語の単語に対するイメージや発想は同じではないわけです。
この違いによって具体的にどの部分に影響が現われているということは言えませんが、言語の生い立ちが違うということです。 英語は、現在のイギリスにケルト人以後に移り住むようになったアングル人の言葉がルーツだとされていますが、その後アングル人がデーン人に征服され、デーン人の言葉である古代ノルド語が入ってきました。実はこのノルド語の影響を受け、本来の英語の語彙がノルド語のものと入れ替わったりしています。たとえば、おなじみの このように他民族(多言語)の征服を受けるということは、擬人化して考えてもわかりますが、言語としてもシェイプアップされ、被征服言語と征服言語のうちより良い方(またはより強い方)が選択され、残っていくということになります。 一方、日本は歴史的に見ても他民族に征服されたという経験がありません。蒙古襲来のときも「神風」が吹きますし、第二次大戦後も、幸いにして連合軍の領土になることはありませんでした。これは私見ですが、一般的に、2つの言語ないし単語が競合状態になった場合、切磋琢磨され、どちらも生き残ろうとするはずですから、言語自体に「厳密さ」や「正確さ」が出てくるのではないかと思われます。 反面、そのような競合状態がなければ、そういった厳しさは生まれず、ゆるやかであいまい性を残した、柔軟性の高いものになるのではないかという気がします。 というわけで、英語と日本語は海と山ほどの違いがあるということですから、マスターするというのはもともと大変なんだという認識を持ちましょう。その上でなかなか上達しないと思っても、あせらず冷静にやり方を研究したりして、気長に続けていくしかないと思います。最初から他の外国人の2倍も3倍も努力するつもりで頑張りましょう。そうすればいろんな発見もあって、結構楽しいかもしれませんね。 |