日英言語構造、文化の違い (2)前のページの引用にも書かれていますが、ヨーロッパ言語は英語と親戚だということです。厳密に言えば、そのルーツは、ドイツ語などと同じ「ゲルマン語」なのです(詳しくは当サイト内の「英語の歴史」をご覧ください)。さらに、英語やヨーロッパ言語、そして中国語までもが「インド・ヨーロッパ語族」という大家族に属していますが、日本語はハングル語などと同じように「ウラル・アルタイ語族」という家族に属しているとも言われています。つまり赤の他人なのです。異なった二つの集団が、全く違ったモノの見方、発想、考え方をしていても決して不思議ではありません。 むしろそのほうが自然なのです。そう考えた方が日本語で育った自分が英語との良い関係を持てるのではないかと思うのです。余談ですが、「結婚」もそうですね。全く違った家庭環境に育った他人同士が一緒に生活するのが結婚だとすれば、もともとお互い違うところがあって当然なんだというスタンスに立っていた方がうまく行くというわけです。 話を戻します。英語と日本語の言語的な違いを思いつくままに挙げてみました(一例です)。
「私」という主語が最初に来るのは同じですが、英語で次に来るのは「学ぶ」という動詞ですね。対して日本語は「英語」という目的語です。こんなことは中学生でも知っている違いなのですが、実はこの違いが大きなことなのです。昔、ある英語の参考書に、 かなり乱暴というか、なぜこのように一対一でパズルのように当てはめるのか、たぶん中学生に理解しやすいと思われたのかもしれませんが、こういうところから日本人の英語がますます苦手になっていくのではないかと思われます。 さすがに今はこんな教え方はないと思いますが、そういう発想こそが、英語を話すときにどうしても
これも当たり前のことですが、日本語には助詞があり、英語にはありません。英語では単語の語順によって「~を」「~に」「~は」という名詞の属性を表わすため、助詞というものがありません。英語にある「冠詞」は日本語にはありません。また単数、複数などの区別もありません。 このように見ていくと、ひとつ言えることは、英語は「名詞」に対して「定義づけ」をしていく性質を持っているということです。英語以外のヨーロッパ言語にくらべると、英語ではその傾向は弱まっていますが、言葉を厳密に定義、位置付けしていくという特性があります。 たとえば、「りんご」があったとして、日本語ではそれがひとつなのか、ふたつなのか、特定のりんごなのか、任意のりんごなのか、特に区別することはしません。「昨日のりんごちょうだい」「どのりんごでもいいからちょうだい」などと修飾語として定義しようとするだけで、「りんご」という名詞自体に対しての定義づけはしないということです。 対して英語では |