Last update August 27, 2019

コラム:英語学習について考える

可能性広がる若年層の英語学習 (3)



英語の「なんでも屋」を引き受けてみる

また、これから「仕事探し」という人は、大企業もいいけれど、いろんな経験、知識を習得するならやはり中小企業です。福利厚生や安定性など、大企業に比べれば不満は残りますが、今や大企業もつぶれる時代です。小さい会社で、英語がわかる人間が数人しかいないとか、英語力では自分がトップという環境が望ましいでしょう。

とにかく横文字のややこしい話ならすべてこっちに回ってきますので、いろんな分野が展開します。海外から来た長文メールはもちろんのこと、海外の企業との契約書だとか、ワンマン社長がある有名ブランドブティックで買い物をしたときの免税資料、海外の取引先との折衝・来日時のアテンド、また、英会話を勉強したいので英語圏の友人を紹介してくれないかといった人材斡旋から、自分の趣味の英文雑誌の記事を持ってきて、なんて書いてあるのか説明しくれだの、帰国子女の英語教育はどうすべきかといったコンサルに至るまで、ありとあらゆることが回ってきます。

ただでさえ、こちらも本業で忙しいのに、もういい加減にしてくれというほどやってきます。そういう人たちに、「英語がわかるといっても、すべての分野のことを知っているわけではありません」というようなことをいちいち説明してもキリがありません。ヘタをすると「ケチ」とか「ちょっと英語ができると思ってお高くとまって…」などと思われ、人間関係もギクシャクしてきます。理解してもらおうとしても時間とエネルギーのムダですから、むしろ「チャンス」ととらえるわけです。

もちろん本業とのからみもありますので、どこまで無償協力するかは程度ものですが、自分にとっては未知の分野のことを調べ、解決するというようなことを十年も続けていると、知らず知らずのうちにいろんな知識が身についてくるわけです(これは、何を隠そう筆者の経験ですが、この「英語雑貨屋」というサイトを立ち上げたのもその辺のいきさつがあったからです)。

しかし、うちの会社はある程度規模もあって、英語ができる人もたくさんいますといったあまりラッキーではない(?)人にも方法はあります。たとえば、上司が書かなければならない英文メールとか、作成しなければならない英文資料などがあるはずです。大企業の上司というのは、部下や他のスタッフに仕事を振って「なんぼ」の世界ですから、できれば自分でやりたくない(やる時間がない)と思っている場合が多いものです。そこを、(それぞれの状況や事情にもよりますが)「自分にやらせてください」と「下書き」を買って出るわけです。

上司の業務ですから、メールや資料にしても、「これ送ります」「着きましたか」といった単純な内容ではないはず。いろいろ調べたり、悩んだり、かなりのトレーニングになるはずです。

心ある上司なら、せっかく下書きを買って出てくれた部下なんだからということで、間違いを指摘してくれたり、内容についての細かい説明をしてくれたりもします。当然、上司の覚えもめでたいということにもなります。同時に、トップレベルの商談内容なども把握することができたり、会社の新しい方針など、普通の人には知ることのできない情報を知ることもできるのですから、まさに一石二鳥、三鳥にもなるわけです(ちなみに、これは筆者が業務委託の出向先での経験です)。





素直さと謙虚さを持って

若いということは柔軟性が売りです。若いころから「ワシは絶対こうじゃ!」という頑固一徹はいただけません。また、若いころはとかく、少し知識を得たり経験を積んだりすると「オレが会社を動かしている」といった幻想をいだきがちです。良い意味での個人主義といっても、誰もひとりで生きているわけでもないし、ひとりで生きていけるものでもありません。

みんなの働きがあって、企業や社会は動いているわけです。「ワタシがいなかったら会社はつぶれる」ということもありません。自分ひとりが抜けたところで、会社や社会というものは、ちゃんと機能していくものなのです。自信を持つのは結構なことですが、過剰にならないようにすることが大切ですね。高慢になると、どうしても「学ぼう」という姿勢が希薄になりますから、英語の学習もうまく行かなくなってくるのです。

素直になるといっても、何でもかんでも言われたとおりにやればいいのではありません。それでは、自分で考えることのできない「指示待ち族」の予備軍になってしまいます。素直になるということは、自分の「思い込み」を無くすということです。

責任感の強いタイプによく見られる傾向ですが、絶対これをやり遂げるという決意は強いものがあります。しかし、そういった強さが頑固さとなって、「思い込み」の強さにつながっていくのです。「思い込み」が強いと、翻訳などをやってもそれが現れてきます。何度注意しても、同じような間違いをしてしまうのです。

なぜ、こんな意味に取れるのか不思議なくらい独特のオリジナルな発想をしてしまう。それはそれで個性かもしれませんが、常識的な発想ができなくなるのです。その思い込みというのも、自分という小さな世界の中で生きているからだと思うのです。事実、筆者もそういう傾向を持っていました。しかし、あるときからその間違いに気づき、修正しようとする努力を続けてきました。

いろんな経験をして、貪欲に知識を吸収し、間違いは素直に認め、いろんなことから学ぼうとする態度、好き嫌いで決めつけず、幅広くチャレンジしていく。そうして、自分だけの視点ではなく、周囲の人の視点、相手の視点からものを見てみようと努力する。こういったことを繰り返すうちに、ヘンな「思い込み」もとれ、英語も上達、人間的にも成長していくのではないかと思われます。

今日明日のうちに花を咲かせようとあせるのではなく、まだまだ若く先は長いのですから、大器晩成をめざすくらいの心構えでのぞむことです。着実に一歩、一歩、踏みしめるような気持ちで、厳しい時代にあっても決して夢を失わず、辛いこと、苦しいことも明日へのエネルギーに変えて、輝く個性の未来を生き抜いて欲しいと思います。頑張ってください。





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