物語の過去
「ニュースの過去」とは対照的に、「物語の過去」では「線過去」が使われます。下記は、おなじみ「赤ずきんちゃん」
(Caperucita Roja) のスペイン語版の書き出しです。
Había una vez una niña muy bonita. Su madre le había hecho una capa roja y la muchachita la llevaba tan a menudo que todo el mundo la llamaba Caperucita Roja.
(あるとき、とても可愛らしい女の子がいました。お母さんが赤いずきんを作ってくれて、女の子はいつもそれをかぶっていたので、みんなは女の子のことを「赤ずきんちゃん」と呼んでいました。)
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物語の原点ともいえる「昔話」は、日本語では「昔々、あるところに…」、英語では
Once upon a time がお決まりの書き出しで始まります。「昔々」とはどのくらい昔なのか、日本で言えば奈良時代なのか平安時代なのか、いつの時代の話なのかというのがあいまいで、「いつかはわからないが、とにかく、任意の昔です」といったところでしょう。言ってみれば、どれくらい昔なのかは「どうでもいい」わけで、問題にしないということなのです。
バーチャルの過去
つまり、物語の時間とは、ニュースとは異なり、「バーチャルの過去」だと言えます。「現実世界の時間」ではなく、「フィクション・仮想世界の時間」だというわけです。そもそも、物語を読む(聞く)ということは、現実という日常の世界をしばし離れて、非日常的な幻想の世界に入り込むことであり、小説などを楽しむということは、現実の世界を忘れて別の世界に浸ることができるということでもあります。
現実世界の時間は、過去
→現在
→未来という直線的な流れをしていますが、物語の世界では時間の流れが異なります。乱暴な言い方をすれば、律儀に最初から読む必要もなく、途中から読み始めてもかまわないわけです。また、本を開くたびに最初から読み直すという人もいません。読みかけた途中からまた読み始めるわけです。そういうことから、始まりもなければ、終わりもない時間であり、何度も読み返したりすることで、再びその時点に戻ることができる「円環的な」時間の流れがあるということができます。あえて図式化すれば、過去
~現在
~未来
~過去
~… といった流れになるでしょう。
時系列的で直線的な現実の時間に縛られず、自由で柔軟な時間の流れを持っているのが「物語における時間」ということができます。始まりもなければ終わりもない時間、繰り返される時間、任意であいまいな時間、ということから、物語の過去では「線過去」が使われるのです。
とは言え、物語の中でもまったく「点過去」が使われないということではありません。「ニュースの過去」もそうですが、「点過去」と「線過去」のどちらか一方しか使われないというのでは、厳密な時間的な係りや時間差などを表現する事ができず、メリハリの利いた生き生きとした文章展開ができません。
「点過去」と「線過去」の比較でも触れていますが、「点過去」は「次の出来事を提起」する、つまり、話を次に進める・展開させるという役割を持っています。対して、「線過去」は話の展開をいったん止めて描写などを行うため、「線過去」ばかりでは、物語も展開しないことになってしまいます。このように、話の展開をさせる場合に、「点過去」が必要になってくるのです。
イメージ的には、あいまいではじめも終わりもない物語の世界が「線過去」により想定され、物語を次の段階へ進めるために、「点過去」を使うということになります。
ちなみに、物語以外に考えられる非現実の世界として、眠っているときに見る「夢」がありますが、この夢のなかでの出来事を語る場合にも「線過去」を使います。