駅を出たところにさっそく立っているのがこれ(写真)。さらに通りを歩いていくと、いるわいるわ… 大きいのから小さいもの、可愛らしい女の子タヌキや子ダヌキ、赤ちゃんタヌキまで、お店の庭から入口、廊下、そして道端にも…。そうです、ここは、陶器のタヌキの里信楽です。
滋賀県にある信楽は、優れた陶器の産地ですが、なかでも有名なのが、独特のまあるい目とお腹の突き出たタヌキの置物で、見ているだけで思わずにっこりしてしまいます。でも、なぜ犬でもなく、キツネでもなく、ネコでもなく、馬でもなく、タヌキなのでしょうか?そして、なぜそんなに可愛いのか?その辺を探ってみましょう。
信楽のタヌキの老舗であるお店のサイトによると、藤原銕造という陶器職人(店の創立者)がその原型を作ったとされ、次のようなエピソードがあります。
ある秋の名月の夜、見習い職人だった11歳の少年(銕造)は、はるか山の頂上から絶妙な鼓の音が聞こえてくるのに気づいた。何だろう?と不思議に思ってそっと頂上まで登った少年が見たものは、忘れられない光景だった。なんと、金色の月の光を浴びながら、老いも若きもいっしょになって、自分の丸い腹をたたいて腹鼓に興ずるタヌキの集団がいた。タヌキの腹鼓は、万人に一人しか見ることのできないめずらしい(道理で見たことがないわけですね)吉祥だとされていた。
それ以来、山頂で見たタヌキの姿をなんとか再現したいと思った銕造は、タヌキ作りに没頭するようになります。他の職人たちもそれに習い、タヌキを作り始めたことから、だんだんと信楽焼のタヌキとして有名になっていきます。また、人々に愛される表情を作り出すため、改良が重ねられました。
そのタヌキが全国的に知られるようになるのは、昭和天皇(裕仁)が信楽を訪問されてからのことでした。幼いころタヌキの置物を集めておられたという天皇は、日の丸の旗を持ち、道の両側に列をなしてお迎えするタヌキの置物にいたく感動され、次のような歌を詠まれたのです。
をさなきとき あつめしからに なつかしも
しからきやきの たぬきをみれば
こうして、それまでは地元でしか知られていなかった信楽焼のタヌキが突然全国的に有名になったのです。庭先に置く縁起物として、近隣地域の人々が買いに来るようになり、注文して送ってもらう遠方のお客さんもいます。
ところで、信楽の陶器技術は、世界中の美術作品を再現するためにも使われています。ゴッホやダ・ビンチ、ルノアール、ベラスケス、ピカソなど、ありとあらゆる画家の作品を再現し、すべてワンストップで鑑賞できる美術館が、徳島県にある「大塚国際美術館」です。まさに本物そのものの迫力!そしてなんといっても、作品に手で触れたり、撮影できるのが魅力です。
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