「脱・翻訳宣言」とは…上の記述のとおり、「通弁」がお届けする主な成果物の名称を「クリエイティブ翻訳ライティング」から「翻訳」の2文字を取った「クリエイティブ・ライティング」とさせていただきました。しかし、実際に提供させていただくものは、従来とほとんど変わりません。そのため、枕詞的に「翻訳に基づいた」というフレーズを入れているのです。なぜ変更するのか?では、なぜ呼称を変える必要があるのか?「翻訳」の2文字を排除する必要があるのか?枕詞的につけるのであれば同じことではないか?という疑問がわいてくると思います。その理由には2つあります。1つ目は、今後の翻訳・ライティング業界を見据えた新しい方向性としての提案とも言えるでしょう。詳しくは、ただの翻訳なら機械でもできる?をご覧ください。 もう一つの理由は、「翻訳」という2文字を入れておくことで、いろんな誤解が生じるからです。「翻訳」に対するイメージや期待値が人それぞれ異なるからですね。個人レベルだけではなく、業界や最終制作物の性質によっても違います。そして、その結果、そこに関わるすべての人のムダな時間やエネルギーを消耗してしまうことになります。 「翻訳」の2文字があるために…これまでも、当サイトにて、「単なる翻訳では満足できない方」、「翻訳の臭いのしない翻訳が欲しい方」、「英文ライティングを求めている方」、「本気でメッセージを伝えたい方」、「スマートな英語表現が欲しい方」のための翻訳ライティングであることをアピールしてきましたが、「翻訳」の2文字が入っているだけに、「作品に近いライティング」ではなく「つつがなく翻訳されたもの」を求めるクライアントさんがいらっしゃることがあります。こちらの意図するところがきちんと伝わっていない(伝えきれていない)わけです。とくに、中間エージェンシーさんを通じてのクライアントさんであれば、エージェンシーの担当者の方に負担がかかりますので、ある程度先方のおっしゃるとおりに修正することになります。その結果、「ライティングとして最適化されたもの」が「単なる翻訳されたもの」になるという残念な結果になってしまいます。 最近とくにこういった傾向が目立つようになったこともあり、最初からお互いのコンセンサスを得ておくためにも、今回の「脱・翻訳宣言」をさせていただきました。 「翻訳」にどこまで求めるのか?「翻訳」に何をどこまで求めるのか?こういった問題意識を持つのは、「単なる翻訳では伝わらない」とか「翻訳しただけではそのまま使えない」という業界や制作物に関わっている人がほとんどだと思います。一般の人たちのなかには、「意味がわかればいい、それが翻訳だ」と思っている人もいるはずですね。そういう人にとっては、「翻訳なんて誰がやっても同じ」であり、逆に「同じでなければならない」のかもしれません。一方で、文章に対するこだわりを持っている人は、その業界に関わらず、不自然な翻訳調の文章に嫌悪感を感じる人もいます。「意味がわかればいい」以上のものを期待しているわけです。 前者の人たちには、「単なる翻訳では伝わらない」という概念自体がどうでもいい、あるいは理解できないことなのかもしれません。翻訳ライティングの最終納品先であるクライアントさんのなかにもこういう人がいることもあります。 また、業界や制作物の性質によっても、求められるものが異なってきます。当然のことながら、法律関係や論文の翻訳など、たとえ不自然な表現であっても一字一句そのまま原文を移さなければならない業界もあります。学校の英作文や英文解釈もそうですね。一字一句の翻訳でなければ「正解」になりません。 一口に「翻訳」と言っても、受け止め方や求めるものはさまざまです。簡単な言葉でありながら、「どうあるべきか?」を追求すればするほど、迷路に入り込んでしまう言葉でもあります。 「通弁」の考える「翻訳」とは?では「通弁」が対象にしている業界はどこなのか?他のところでも説明していますが、マーケティングやコミュニケーションなど、「伝えたいことをベストな形で伝え、行動を起こしてもらう」ことをめざしている業界です。さらに、そのためには、「啓蒙やインスピレーション、心理的効果やインパクト」を大切にする業界です。したがって、元の原文が何語であるとか、翻訳が上手いかどうかなどということは、言ってみれば、どうでもいいわけです。最終的にアウトプットされた文章を読んだ人が、発信者の情報や商品・サービスに対して、「なるほど」と共感してくれたり、「すごい!」と感動してくれたり、購入してくれたり… という目的が達成できることが最優先されるべきなのです。そういった効果を出すために、あらゆる表現の工夫をして、原文に込められたメッセージや思いを伝えようとするのが、「通弁」のめざす「翻訳」なのです(しかし、「翻訳」と言うだけでは伝わらないため「クリエイティブ翻訳ライティング」と呼称していました)。 「つつがなき翻訳」との闘い「つつがなき翻訳」とは、ひと通りあますことなく一字一句が訳されている文章という意味です。前述のように、法律関係の翻訳などがこれに当たります。「必要なことはすべて言及した」ということが大事であり、「共感や感動、インスピレーション」などということはめざしていません。言ってみれば、「発信側」に焦点が当たっています。また、翻訳業界でも「訳しにくい長文を一字一句もらさずよく1つの文章にまとめていて素晴らしい」と翻訳の上手さを評価することもあるようですが、これは「翻訳者」というところにフォーカスが当たっている例です。しかし、うまくすべてを網羅したからと言って、果たしてそれがベストかどうかですね。それを読んだ読者はどう感じるのか?理解しやすいのか?読みやすいのか?ということは二の次になっている感じがします。 「通弁」では、ターゲットとなる業界の性質上、最終的な受け手にフォーカスが当たるべきだと考えています。そのためには、どうしても「つつがなき翻訳」を超える必要があるのです。それは、言語間の違いがあるために、「つつがなき翻訳」ではめざす効果が得られないからです。 |