翻訳に基づいた「通弁」クリエイティブ・ライティング

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できれば読みたくない!違和感たっぷりの文章例

その1:読むだけで疲れてしまう(英→日)

まず、ある Wikipedia の英文記事の一部を日本語に訳した例です。翻訳としては間違いはありませんが、あまり読みたくないですよね。

NG訳文
認知文法は、文法、意味論、および語彙が完全に別個のプロセスとしてではなく、連続体に存在するという仮説に基づいた、ロナルド・ラネカーによって開発された言語への認知的アプローチである。この言語へのアプローチは、認知言語学の最初のプロジェクトの1つだった。このシステムでは、文法は意味とは独立して動作する形式的なシステムではない。むしろ、文法はそれ自体意味があり、意味論から切り離すことはできない。

原文
Cognitive grammar is a cognitive approach to language developed by Ronald Langacker, which hypothesizes that grammar, semantics, and lexicon exist on a continuum instead of as separate processes altogether. This approach to language was one of the first projects of cognitive linguistics. In this system, grammar is not a formal system operating independently of meaning. Rather, grammar is itself meaningful and inextricable from semantics. (Wikipedia)

解説
内容的にも一般的にあまりなじみのないことが書かれているので、余計にわかりにくさを感じると思います。翻訳としては間違いはないので、おそらく言語学を専門としている人であれば、ほぼ普通に読めるかもしれません。すでに専門知識があれば、言語表現を乗り越えて書いてあることを理解できることもあるからです。

しかし、一般の読者向けに書かれたものとしてはどうでしょう?専門用語が出てくるだけでも構えてしまうのに、「認知的アプローチ」だの「意味論」とか「連続体」とか、なんか頭が痛いよな~と感じる人もいるかもしれません。読まなくてもいいものであれば、即刻「さよなら」ですね。

では、さっそく、こういった「読みにくさ」はどこから来るのかを考えてみましょう。まず、冒頭の読みにくさ、これは、a cognitive approach to language に係る「コンマ+ which」以下の修飾節をそのまま先に持ってきているからですね。

ご存知のように英語では、修飾節は関係代名詞などを使ってどんどん後に追加していく表現をします。最初にメインである情報=「修飾されるもの」が来ているので、後にどれだけ付随的な情報を持ってこられても「メイン」の正体がわかっているのでストレスを感じることなく読み進むことができます。

ところが、日本語のように「メイン後出し」になり修飾部分が先にくる言語では、「メイン」が出てくるまで、先出しの情報を頭の中にキープしておかなければなりません。それが長くなればなるほど途中で「あれ?なんだっけ?」と前に戻って読み直すなどということになり、かなり苦しい作業になってしまいます。

さすがに、今日では、そのまま律儀に「修飾部分を先出しするのが忠実に訳すことだ」と考える人はいないと思います(Google翻訳さんだってここら辺は心得ています)が、かつてこのようなタイプの方とも遭遇したことがあるため、念のために例として挙げています。ポイントは、長い修飾部分は後出しして、シンプルな文章構造にすることです。

次に、英語ならではの単語をそのまま外来語として使っている部分も「読みにくさ」の原因となります。たとえば「アプローチ」や「システム」、「プロジェクト」ですね。非常に英語が好きな言葉です。既出の内容を受けて(ここでは言語を認知的にとらえること)、「アプローチ」や「システム」という言葉を使って置きかえる傾向があります。

しかし、日本語で「アプローチ」や「システム」と言われると、何か特別なものであるような「登場感」を持たせることがあります。「『この言語的アプローチ』って何のこと?」と一瞬ですが、そこで「読み進み」が停滞してしまいます。「システム」も同様です。そんな技巧を凝らさなくても「認知文法の考え方・体系」といった言葉を使ったほうが話は簡単なのです。

また、のっけからの「言語への認知的アプローチ」というのも「何それ?」と思わず引いてしまいますよね。そうまでして、律儀に「アプローチ」とか「システム」とか使わなきゃならないの?ということになります。もちろん、内容によっても異なるので「アプローチ」や「システム」がすべてNGという意味ではありません。

要は、もっとスムーズに読めるように日本語として噛みくだいてはいけないのか?ということなのです。こういうことを言うと(他のページでも書いていますが)、「勝手に変えないでください」とか「ここは『言語への認知的アプローチ』という意味だと思うんですが、そういう表現になっていません」といったご指摘があったりします。

こういうご指摘の背景には、原文の構文や構造に忠実に移し替えることをするのが「翻訳」だという考え方があるわけで、だったら、「翻訳」をちょっと超えませんか?というのがこちらの提案なのですが、なかなか伝わらないようです。

その他、「意味論」という訳語も違和感があります。言語学の話であることからも semantics を「意味論」としがちですが、なぜここだけ「論」がつくの?ということになります。文法、語彙と並列に述べているのなら「意味」となるはずです。「意味論」というと学問の名前になってしまうので、そこでも違和感が生じるわけです。

ちなみに、最後に提示している「ライティング例」では、This approach to language was ... cognitive linguistics. の文を次の文章と合体させています。英語ではライティングにメリハリをつけるため、長短の文章を混ぜるテクニックが使われますが、日本語では、(場合によっては)その一文だけ浮いてしまうような違和感を与えることもあります。また、「~ですが」という日本語の前置きは、必ずしも、英語のような「前の記述を否定する意味」にはならないということから、提示のような表現を使っています。

翻訳に基づいたライティング例
認知文法とは、言語を認知的にとらえようとする考え方で、ロナルド・ラネカーによって開発された。つまり、文法、意味、語彙がそれぞれ独立したものではなく、1つの連続したものとして存在するという仮説に基づいている。認知文法は、認知言語学における初期研究テーマの1つであったが、「文法」は「意味」と独立して機能する形式的な体系ではなく、「文法」自体に「意味」があり、「意味」から切り離して考えることはできないという立場を取っている。



ConvolutedWriting
(画像はイメージです。)