「通弁」クリエイティブ・ライティングコラム
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 よくある勘違い1 >> 外国語が話せれば翻訳ができるのか?

適切な翻訳ライティングにはある程度の条件が必要
今でこそ、英語を使いこなせる人も増えてきていますが、かつては、外国語ができるというと過剰な期待をもたれてしまうことがありました(もちろん日本での話です)。

たとえば、まわりに英語ができる人間がその人ひとりしかいない場合、分野や情報の種類に関わらず、英語で表現されたものはすべて、その人のところに質問や依頼が集中するという現象が起こります。筆者も、英語を理解する者が自分だけという小さな組織にいた経験がありますが、英語にコンプレックスをもつ上司などが英語の専門書などを持ってきて、「これ何書いてんねん?ちょっと読みながらざーっとでええし教えてくれへんか」と言うのです。

そう言われてもその分野のことはわかりませんし、専門用語のようなわからない言葉もたくさんあります。「ちょっと調べてみないと…」と返事をすると、「調べんでええし、最初から読んでそのまま日本語で言うて」などと言われます。どうも、英語を読みながら、すらすらとそのまま日本語の訳文を声に出して言えるとでも思われていたようです。とんでもない話です。こちらも機械ではありません。すると、「なんでや?自分(関西弁で「君、お前」の意味)、英語わかるんと違うんか?」などと詰めよられ、説明するのが大変だったことがあります。

外国語が話せても「機械翻訳ソフト」になれないのと同様に、外国語が話せても翻訳ができるとは限りません。まず第一に、外国語が話せても読めなければ、その外国語で書かれた原文を読み取ることができないため、翻訳はできません。

「読む」ということ
翻訳工程における「読む」とは、当然のことながら、単語が読める、文章がすらすら読めるといった基本的なことではありません。原文の文章に込められた情報を正確に読み取る、微妙なニュアンスを感じ取るというスキルが不可欠です。したがって、翻訳元言語における深い理解度と経験が求められます。「ざっくりこういうことが書いてあります」とか「だいたいこういう内容じゃないですか」という理解度では不十分であることは確かです。

次に、外国語が話せて、読めても、書けなければ、翻訳はできません。その外国語で翻訳文を作成することができないからです。

「書く」ということ
では、「書く」ということについてもう少し掘り下げてみたいと思います。ここで言う「書く」とは、当然のことながら、ちょっとした文章が作成できるといった基本的なことではありません。また、翻訳された文書はひとつの「読み物」(作品)という扱いになりますので、自分や特定の人にわかればいいといった「私用」の文章では不十分です。それなりに理解しやすい良い文章を書くことが必要であり、翻訳先の言語における深い理解度と経験が重要です。

また、母国語であっても文章の「うまい、へた」というものはあります。「自分は文章がへただからあの人に頼もう」とか、「彼の文章は説得力がある」など、人によっても差があります。つまり、母国語ですらきちんとした文章が書けるとは限らないわけです。ましてや、外国語が話せるからと言って、きちんとした外国語の文章が書けるとはかぎらないのは当然のことだと言えるでしょう。

両言語間の「変換プロセス」
母国語と外国語が深く理解できたとして、最後に求められるのは、2つの言語間をいかに橋渡しするか――「翻訳」するかという能力と感性です。目には見えないプロセスですが、最も重要な部分です。翻訳元の文章を深く理解できていても、翻訳先の言語で自然な文章表現になっているか、翻訳先の言語で自然な文章になっていても、原文の深い理解に基づいたものなのかという2つのバランスが取れていなければなりません。

言い換えれば、原文は深く理解できていても、翻訳先言語への翻訳が直訳になっていて不自然な言い回しになっている、あるいは、翻訳先言語での表現が自然なものであっても、原文の意味をくみ取っていない、間違ったアウトプットになっているということでは用をなさないわけです。

以上のことから、翻訳ができるために必要な条件をまとめてみると、以下のようになります。

1. 母国語の深い理解と表現力があること
2. 外国語の深い理解と表現力があること
3. 両言語間をうまく橋渡しする能力があること

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