蝶よ花よと育てられ… >>
「一日千秋の思いで待ちに待った待望の…」
「一日千秋の思いで待ちに待った待望の女の子。蝶よ花よと育てられ、手がつけられないほどのわがまま娘に育った。」
説明表現型
"She was a baby girl her parents had been long waiting for. Doted and pampered, she has grown into an uncontrollably annoying person."
「蝶よ花よ」というのは「ちやほや」の語源らしいのですが、当然のことながら、 raised like a butterfly or flower というわけにはいきません。かわいそうに人間として育てられなかったのか、などということになってしまいますね(笑)。この場合は、「大切に育てられた」というより「甘やかされた」という意味合いのほうが強そうですので、意味をとらえて、 Doted and pampered など、「甘やかす」という単語を2つ重ねることで「蝶よ花よ」という繰り返しに近い効果があるのではないかと思われます。「一日千秋」ですが、単純に「長い間」という表現にとどめています。
積極表現型
"Her parents had wanted a baby girl. They waited and waited... and finally got one. So pleased, and without knowing they spared so many rods that they eventually brought up their daughter to be a helplessly selfish person."
上の例文とは趣向を変えて、日本語では特に表現されていない「両親」を主体にして表現してみました。 waited and waited と繰り返しを使うことで、「一日千秋」の思いが少し出てきました。「蝶よ花よ」の部分は「甘やかす」という意味のお決まりの熟語を使い、「手がつけられない」というのは helplessly を使っています。
飛躍実験型
"How badly the couple wanted a baby girl! For those longing and waiting for something that's not easily attainable, a single day seems like a thousand years. When they finally had one, their joy was so overwhelming that they lapsed into being doting parents who would treat their daughter like a princess and make her into a woman like a tyrannical queen."
文章的にも長くなり、若干、無理矢理の感もありますが、「一日千秋」を説明的に表現してみました。冒頭の感嘆文がさらにその意味合いを強めています。
また、ひとつ前の例文(積極表現型)でもそうですが、「待望の女の子」だったことイコール「我がまま娘」に育つという論理的根拠が日本語では曖昧(表現されていない)なため、それぞれの文章の結合を強める必要があるかもしれません。
つまり、「あまりの喜びように思わず甘やかせてしまった」という脈絡にしています。「蝶よ花よ」は、「王女さまのように扱った」とし、「わがままな女性」は、「横暴な女王のように」といった表現に置き換えてみました。英語では、ある性質を説明する場合に、さまざまな形容詞を並べるだけでなく、 snow falling like feathers など、具体的なものになぞらえて表現を楽しむ傾向があります。
以上、いくつかの翻訳例をあげていますが、どれが正解だとか、これしかないというのではなく、あくまでも「表現の可能性」ということでご理解ください。
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