Last update May 28, 2021

いにしえの民族ケルト人 (3)

さまざまなケルト部族

ヨーロッパの青銅器時代 (Bronze Age) 後半や鉄器時代 (Iron Age) に活躍したケルト人。そのケルト人の主な部族をリストアップしてみました。

族名 備考
アクィタニア族
Aquitani; Aquitanians
現在のフランス南西部にあったローマの属州ガリア・アクィタニア (Gallia Aquitania) に住んでいた人々で、イベリア半島のケルト人の特徴がみられる。彼らの話していた言語はバスク語 (Basque language) のルーツだと言われている。
アナルテス/アナルトイ族
Anartes; Anarti; Anartii; Anartoi
ドナウ川 (Danube River) 支流のティサ川 (Tisza River) 北部にある現在のスロバキアやハンガリー北部、あるいはライン川 (Rhine River) から東に南部ドイツを横切るヘルシニアの森 (Hercynia Silva) に住んでいたが、ダキア人 (Dacians) に吸収された。
アルウェルニ族
Arverni
ガリア人の部族の一つ。現在のフランスのオーヴェルニュ (Auvergne) 一帯に居住しており、この地名の由来となった。ガリア戦争でローマに反旗をひるがえしたが破れた。
ウェネティ族
Veneti
現在のフランスのブルターニュ半島に居住していたケルト人の部族の一つで航海術に長けており、ローマ時代にはアルモリカ (Armorica) と呼ばれた地域の一部を形成した。現在のヴァンヌ (Vannes) の名の由来となった。
ガエサタエ族
Gaesatae
ガリア人の部族の一つ。ローヌ川 (Rhine River) 流域のアルプス地方に住んでいた戦闘集団で、紀元前225年に共和政ローマと戦った。
ガラティア人
Galatians
現在のトルコにあったガラティア (Galatia) に住んでいた人々で、紀元前3世紀にマケドニア (Macedonia) に侵入し、バルカン半島南東部にあったトラキア (Thrace) を経由して移住してきたガリア人 (Gauls) がルーツ。新約聖書のガラテヤの信徒への手紙に出てくる人々はこのガラティア人だという説がある。
ガリア人
Gauls
ガリア地方に居住していた部族。紀元前5世紀に、セーヌ川 (Seine River) やライン川 (Rhine River) 中流、エルベ川 (Elbe River) 上流に囲まれたアルプス北部に登場したラ・テーヌ文化 (La Tène culture) の担い手であり、紀元前4世紀には、現在のフランス、ベルギー、スペイン、ポルトガル、スイス、ドイツ南部、オーストリア、チェコ、スロバキア、さらに、北イタリア、バルカン半島、トランシルヴァニア (Transylvania)、現在のトルコにあるガラティア (Galatia) にまで移住した。
カルニ族
Carni
東アルプスに住んでいた部族。ガリア族の一派であると考えられているが、ウェネティ族 (Veneti) だったという説もある。
カレドニア人
Caledonians
鉄器時代 (Iron Age) およびローマ時代に現在のスコットランドに住んでいたピクト人 (Picts) の部族連盟。ブリテン島 (Great Britain) の南部が属州ブリタニア (Britannia) として統治されるようになっても、彼らの住むカレドニアは最後までローマに支配されることはなかった。
ゲール人
Gaels
ヨーロッパ北西部を起源とするケルト人であり、アイルランド人、スコットランド人の祖先。彼らの話していたケルト語の一派であるゲール語 (Gaelic languages) からアイルランド語 (Irish) やマン島語 (Manx)、スコットランド・ゲール語 (Scottish Gaelic) が派生した。
ケルトイベリア人
Celtiberians
紀元前1世紀ごろにイベリア半島 (Iberian Peninsula) の中央東部に住んでいた人々で、ケルトイベリア語 (Celtiberian) を話し、イベリア・アルファベットを用いていた。中央ヨーロッパのケルト文化との共通点はあるが、ハルシュタット文化 (Hallstatt culture) やラ・テーヌ文化 (La Tène culture) とは大きな違いがある。
ゴティニ/コティニ族
Gotini; Cotini
ローマ時代に、現在のチェコ、ポーランド、スロバキアの国境あたりの山々に住んでいたガリア族 (Gauls)
タウリスキ族
Taurisci
ローマ以前の紀元前200年ごろ、現在のスロベニア北部に住んでいたガリア族 (Gauls)の連盟で、名前がケルト語の「高い岩」という意味であるため、高地に住んでいたとされる。ノリキ人 (Norici) とも呼ばれる。
トゥリンギ族
Tulingi
ジュリアス・シーザー (Julius Caesar) のガリア遠征では、ヘルウェティイ族 (Helvetii) をはじめボイイ族 (Boii) とも同盟して戦った小さな部族で、ゲルマン民族であったという説もある。
ネルウィ族
Nervii
ガリア人 (Gauls) の部族のうち ベルガエ人 (Belgae) の一派。ローマから最も離れていたことから激しい抵抗を繰り返した後ローマに服従し、ローマ衰退後はフランク族の傘下に入って同化した。
ハエドゥイ族
Aedui; Haedui; Hedui
ガリア人の部族の1つであり、ローマの属州ガリア・ルグドゥネンシス (Gallia Lugdunensis) におけるソーヌ川 (Saône River) の支流とロワール川 (Loire River) の支流に囲まれた地域に住んでいた。
パリシイ族
Parisii; Quarisii
ガリア人 (Gauls)の部族の1つで、紀元前3世紀中ごろからローマ時代までセーヌ (Seine River) 河岸に住んでいた。紀元前52年にはスエシオネス族 (Suessiones) とともにローマに対抗した。現在のパリのルーツである。
ピクト人
Picts
鉄器時代 (Iron Age) 後期から中世前半にかけて、現在のスコットランド北東部に住んでいた連盟部族であり、ブリソン語 (Brittonic language) に近いピクト語 (Pictish language) を話していた。10世紀にゲール人 (Gaels) と同化したとされる。
ヴィンデリキ族
Vindelici
ヴィンデリキアと呼ぶ地域に住んでいた部族で、北部にはドナウ川 (Danube River)、ゲルマン民族との境界線があり、南部にラエティア (Raetia)、西にヘルウェティイ族 (Helvetii) と境界を隔てていた。現在のスイス北東、バーデン (Baden) 南東、ヴュルテンベルク (Württemberg) やバイエルン (Bavaria) 南部にあたる。
ヴォルカエ族
Volcae
紀元前270年のマケドニア (Macedonia) 侵略以前に結成したガリア族 (Gauls)の連盟で、紀元前279年には合同ギリシア軍とも戦った。後期ラ・テーヌ文化 (La Tène culture) との関連も強く、ケルト人としてのアイデンティティのルーツとも考えられている。
ヘルウェティイ族
Helvetii
ヘルシニアの森の西部にある地域を起源とする部族連盟で、スイスの古名ヘルヴェティア (Helvetia) の南部あるいは南東に住んでいた。
ブリトン人
Britons
鉄器時代 (Iron Age) からブリテン島 (Great Britain) に定住していた民族で、彼らの話していた共通ブリソン語 (Common Brittonic language) からウェールズ語 (Welsh) やコーンウォール語 (Cornish)、ブルトン語 (Breton) などが派生した。
ベルガエ族
Belgae
ガリア地方の北東部、つまり現在のベルギーからフランス北部周辺に住んでいた人々。ライン川 (Rhine River) に面した地区であるためゲルマン系の部族とも考えられている。ベルギー王国の名前の語源となった。
ボイイ族
Boii
現在のボヘミヤ (Bohemia) あたりを起源とし、ライン川 (Rhine River) からヘルシニアの森に住んでいたが、現在のスロバキア、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、北イタリアに移住したとされる部族同盟。
ラトブリギ族
Latobrigi; Latovici
ジュリアス・シーザー (Julius Caesar) のガリア戦記 (Commentarii de Bello Gallico) に出てくる部族で、紀元前58年に、ヘルウェティイ族 (Helvetii) に合流し、フランス南西部に移住しようと試みた。
ラエティア族
Raeti; Rhaeti; Rheti; Rhaetii
アルプス地域に住んでいた部族連盟で、言語や文化はエトルリアの影響もみられる。紀元前500年ごろ、現在のスイス中部やオーストリアのチロル地方、イタリア北西部のアルプス、ドイツのドナウ川 (Danube River) 南部に住んでいた。
レポンティ族
Lepontii
青銅器時代 (Bronze Age) 後半や鉄器時代 (Iron Age) に現在のスイス、イタリア北部にあったローマの属州ラエティア (Raetia) に住んでいた人々。


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