いにしえの民族ケルト人 (2)ブリテンのケルト人ケルト人がブリテン諸島に初めてやって来たのは、およそ紀元前1000年頃の青銅器時代でした。おそらく冒険好きな民族だったのか、地平線の向こうに広がる未知の土地――そこにはどんな世界があるのか?――好奇心に突き動かされるように、故郷のドナウ川流域を後にしたのかもしれません。あるいは、他の部族との戦争や侵略から逃れて新天地を求めてきたのかもしれません。ひたすら北方をめざし、粗末なかご船に乗ってイギリス海峡を超え、ブリテン島の南岸に上陸。青銅器をはじめとする高い金属器技術や優れた農業技術を持っていた彼らは、森を開墾し作物を育てながら、その後200年かけて、現在のウェールズやアイルランド、スコットランドを含むブリテン諸島全域に定着していきました。彼らのように、ブリテン島に住んでいたケルト人を「ブリトン人 しかし、その安定もやがて、新しく台頭した大きな勢力に飲み込まれそうになります。ローマの侵略でした。ブリトン人たちは、中央・南部イングランドの肥沃な土地を追われることになり、西北部の過酷な山地へと逃れ、長い間ドルイド僧が統治してきたアングルシー島などもローマの支配下に置かれました。しかし結局、ローマは、アイルランドやスコットランド、ウェールズを完全に支配することはできませんでした。そのため、ローマがケルト文化や言語に与えた影響は極めて少ないと言われています。 ローマの支配が終わり、アングロ・サクソン人 ケルト社会8世紀に滅ぼされたアエロン王国交易もさかんで、前ローマ時代から、ユーラシアを網羅する道路網が発達しており、その道路を車輪のついた荷車のようなものを使っていました。アイルランドやドイツでは湿原を横断する道路遺跡がみられます。また、スズ、鉛、鉄、金、銀などを採掘し、金属細工技術を用いて武器や宝石類を製造、ローマ人を相手に取り引きを行っていたようです。ケルト社会は物々交換だったというのが定説ですが、斧や輪、鐘の形をした青銅製の原始通貨が存在し、金、銀などの貨幣も鋳造されていたと考えられています。 野蛮で戦争好きというイメージの強いケルト人ですが、確かに、ケルト社会では部族間の戦争が絶えることがなく、政治的・経済的に有利な条件や領土をめぐって戦闘が行われていたという記録があります。また、彼らの宗教は、自然崇拝を中心とする多神教で、ケルト神話には、川の神をはじめ、山の神、森の神、都市の神など、ありとあらゆる神々が登場します。 |