能動態と受動態の間のグレーゾーン
スペイン語の能動態 (
voz activa) と受動態 (
voz pasiva) について見てきましたが、世の中の物事というのは、デジタル表現のように「1 か 0 か」の 2つの選択肢のうちどちらかに必ず当てはまるというものではなく、両極の概念があれば必ずその中間のグレーゾーンが存在するものです。文法の世界においても、能動態でもなく受動態でもない、その中間にある「中間態」(
voz media)というものが存在するというわけです。
ただし、必ずしも「これが中間態だ」という文型があるわけではないため、「能動態」と「受動態」という2つの分類のなかに統合されているだけに他なりません。
スペイン語においても、受身表現同様、「この文章構造になれば必ず中間態だ」という唯一定まった形はないので、文法的にもカテゴリーとして認知することが困難だと言えるでしょう。そういうことから、スペイン語には「中間態はない」という文法学者もおり、またしても「あるような、ないような」というのがスペイン語の中間態ということになってしまいます。受動態だけではなく中間態もないのかあるのか、はっきりしないというのでは、一体スペイン語はどうなっているのか?と頭をかしげてしまうところです。
これは、、
スペイン語の受動態の考え方の
歴史的考察でも述べましたが、「線引き」の問題で、行動主に視点があるものが「能動態」で行動主から視点がそれたものが「非能動態」という区分けをしておけば理解しやすいと思われます。そして、この「非能動態」の区分のなかに、中間態と受動態が含まれているというわけです。
言いかえれば、非能動態から「受身」を除いた残りが「中間態」であるとざっくり位置づけることが可能です。中間態に対して神経質になる必要はありませんが、この概念を頭に入れておくことで、三人称
再帰代名詞の
se を使った用法などがより理解しやすくなると思われます。