スペイン語は能動的言語
英語の受動態はご存知、「be 動詞+過去分詞」で作成することができますが、スペイン語の受動態 (
voz pasiva) も同じように
ser/estar 動詞 + 過去分詞
で表現することができます。受身形では、下の例文にも見られるように、主語となる名詞句 (
El Guernica; Las noticias) に応じて、動詞と過去分詞 (
fue pintado; estaban divulgadas) が性数の変化をしますので注意が必要です。
ser と
estar の使い分けについては、
ser と estar の使い分けを参照ください。
El Guernica fue pintado por Picasso.
(ゲルニカはピカソによって描かれた。)
Las noticias estaban divulgadas por la tele.
(それらのニュースはテレビによって報道されていた。)
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しかしながら、スペイン語の受身の話はここで終わりではありません。
というのも、スペイン語では、英語やフランス語、イタリア語などの他のラテン語系言語と比較しても、こういった受身形(迂言的受身:
pasiva perifrástica)はあまり使われません。話の焦点が受動主に当たっているときなどの特殊な場合を除いて、できるだけ使用を避けようとする傾向があります。最近では、IT関連や技術分野において、英語やフランス語などから翻訳されたスペイン語の表現にこの受身形が多く含まれており、問題視されている傾向もあるようです。
スペイン語とは、本質的に「能動的」な視点を持った言語だと言えるでしょう。そもそも「動詞」とは、何らかの「動作」や「アクション」を表現するためのものであり、動詞を使った文章には、動作を行う「行動主」(行為者)と、動作を施される側の「受動主」(被行為者)の存在があります。能動態とは「行動主」を主語にした文章であり、受動態とは、反対に「受動主」を主語にした表現です。「主語」にするということは、視点・焦点を置く―つまり、その観点からみた表現をするということに他なりません。
スペイン語では、「誰が(何をした)」という「行動主」の視点からみる物の見方というものが、基本的な表現心理として存在しています。さらに言うならば、物事を客観的な現実世界の出来事として捉えた場合、「活動的で動きのあるもの」、「エネルギーを持っているもの」から観るのが最も自然なものの見方だというわけです。
たとえば、「人間が本を書く」という現象があるとします。言うまでもなく、「人間」は生きている動きのある存在であり、「書く」というのは1つの行動ですからエネルギーを伴うものであると考えます。それに対して、「本」は動きのない対象です。能動態であろうと、受動態であろうと、「人間」は「書く」という動作を行うエネルギーを持った存在(行動主)であり、「本」は「書く」という行為を施される対象(受動主)であるという関係は不変です。
スペイン語では、「誰が」という行動主がはっきりとわかっている場合、「本は人間によって書かれる」とか「ドアは家主によって開けられた」といった受身的な表現は、基本的には使われません。行動主がわかっているのに、わざわざ受動的な言い方をする必要はないという考え方をするわけです。もちろん、全く使わないとか、用法として間違っているということではありませんが、あくまでも、不必要に使用するのは、スペイン語らしくないということなのです。
もちろん、受身的な表現がまったく使われないとか、受身を使った文章すべてがスペイン語らしくないということではありません。当然のことながら、能動的な視点だけでは豊かな言語表現が成り立ちません。行動主から視点をそらしたり、受動主に視点を移した表現をする場合は、能動態以外の態が使われます。