過去の時間の違い
まず、最初に、スペイン語やラテン語系の言語は、深い時間の概念を持っているということを覚えておいてください。それは、「~した、しました」という1種類の過去形しかない日本語や、あっても過去と過去完了しかない英語などとは大きな違いがあります。それだけ「時間」の種類や性質について、厳密に考えているということができるでしょう。
ここでは、「点過去」と「線過去」の時間的な考え方の違いについて述べますが、「点」と「線」ということから、線過去で表現される事柄は、点過去に比べて時間的にも持続性や継続性のあるものに対して使われるということがいえます。
そういったことから、点過去とは、「継続しない完了している事柄」に対して使われ、線過去は「習慣、完了していない事柄」を語るのに使用されるわけですが、事柄の時間的な長さや内容的な特性だけで使い分けを理解しようとすると、どうしても限界があります。
たとえば、「家に着く」という事柄があります。これは、単純に考えると「着く」という一瞬の時間で、「点」と考えられますから、「家に着く」という場合はすべて「点過去」で表現するのかということになります。しかし、下の例文のように、点過去だけではなく、線過去でも表現することができます。
Llegué a casa muy tarde.
(点過去:かなり遅く家に着いた。)
Llegaba a casa cuando sonó mi movil.
(線過去:家に到着しようというときに携帯が鳴った。)
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つまり、線過去と点過去の使い分けを理解するには、事柄の時間の長さや、「習慣だから」とか「完了していないから」といった判断に基づく理解だけでは無理があるのです。「着いた」と「鳴った」という動詞に対して、それぞれ点過去と線過去のどちらを使うべきか―といったアプローチでは、「携帯が鳴ったとき、家に着くという動作は完了していたと考えるべきなのか」とか、「では、家に着くという動作はどこからどこまでを言うのか」などと、判断するだけでも悩んでしまうことになります。
それには、まず、その文章で、どの出来事に「時間の中心」を持ってくるかを考える必要があります。言いかえれば、「家に着く」ということと、「携帯が鳴る」ということのうち、どちらの時間を基準にするか(時間の視点を置くか)ということです。「時間の基準(視点)」ということは、出来事の開始時点を表現する(例:「電話が鳴る」という出来事が開始した時点)という意味で、日本語で表現するなら、「~した」という表現を使う出来事を指します。それに対して、「~していた」というような日本語が当てはまる部分は、時間的な基準の置かれていない出来事だということができます。
上の例文の二番目では、「携帯が鳴る」という点に時間の基準を置いていますが、次の文ではどうでしょう。
Sonaba mi movil cuando llegué a casa.
(家に着いたとき携帯が鳴っていた。)
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「家に着く」というところに基準を置き、「携帯が鳴る」のはその前後の時間において起こっている付随的な事柄として表現しています。
このように、時間差を持って起こる2つの出来事を表現する場合、時間の基準(視点)を置いた事柄に対しては、「点過去」を使い、もう一方の出来事には「線過去」を使うというのが基本です。「家に着く」「携帯が鳴る」といったそれぞれの出来事に対して、「時間的に短いか長いか」、あるいは、「継続性があるかないか」などの判断をしてから、点過去か線過去のどちらを使うかということを決めるのではなく、出来事の時間的な位置づけによって、どちらを使うかが自然と決まってくるのだということなのです。