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そこがりたい日本にほんの「なぜ」?

なぜ7月7日しちがつなのかにはささかみかざりをかざるの?




Last update June 29, 2022

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石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう京都きょうと)の七夕飾たなばたかざ

毎年まいとし7月7日しちがつなのかちかづくと、神社じんじゃやおてら地元じもと商店街しょうてんがい幼稚園ようちえん個人こじんいえのドアやまどかざられるかみかざりをたくさんつけたささ。これは『七夕飾たなばたかざり』とって、7月7日しちがつなのか七夕祭たなばたまつりにかざるものなのです。よくると、メッセージがかれたかみきれがぶらがっています。「世界中せかいじゅうひとしあわせになりますように!」とか「世界平和せかいへいわいのる」といった高尚こうしょうなものから、「お金持かねもちになれますように」とか「野球選手やきゅうせんしゅになりたい」(よくある子供こども願い事ねが ごと)といった身近みぢかなものもあります。でも、なぜささかみかざりなのでしょうか?

このなぞまえに、その情熱的じょうねつてきすぎるあいゆえにばつけたカップルのはなしをしましょう。ささ葉飾はかざりのなぞとは直接関係ちょくせつかんけいないのですが、七夕たなばた伝説でんせつとしてあまりにも有名ゆうめいはなしなので無視むしすることはできませんね 

昔々むかしむかしのこと、「織姫おりひめ」という機織はたおりの上手じょうずはたらもののお姫様ひめさまがいました。ひめ年頃としごろになったので、ちちである天帝てんてい織姫おりひめ婿むこつけてやりました。名前なまえを「彦星ひこぼし」とう、働き者はたら もの牛飼うしかいでした。ところが二人ふたりは、あまりにもあいったために、それぞれ機織はたおりと牛飼うしかいという仕事しごとをしなくなりました。くに人々ひとびとこまてます。そこで天帝てんていは、とうとう二人ふたりをそれぞれあまがわ反対側はんたいがわはなし、ねん一度いちど7月7日しちがつなのか)しかえないようにしてしまったということです。
ということで、なぜささかみかざりなのかということでしたね。この可哀かわいそうなあい犠牲ぎせいになった二人ふたりなぐさめてあげるため?それともはげましのメッセージをおくってやるためでしょうか?ちがいます。前述ぜんじゅつのように、このはなし七夕飾たなばたかざりのなぞとは関係かんけいないので、しばらくいておきましょう。

まず、笹の木ささ きについてかんがえてみましょう。ごぞんじのとおり、ささえばパンダの健康食けんこうしょくですが、パンダだけではなく、人間にんげんにとってもいろんな意味いみやく植物しょくぶつなのです。もちろん、べたりはしませんが、殺菌作用さっきんさようがあるため、くさりやすい食べ物た もの保存ほぞんするのに使つかわれることもおおく、たとえば、ご先祖せんぞささげるおそなえのしたささくこともありました。また、生命力せいめいりょくつよいので神聖しんせい植物しょくぶつとされ、宗教的しゅきょうてき儀式ぎしきでも使つかわれてきました。実際じっさいに、おぼん行事ぎょうじ使つかわれることもおおく、これが七夕飾たなばたかざりの起源きげんともわれています。ちなみに、7月7日しちがつなのかえば、日本にほん旧暦きゅうれきでおぼん時期じきたっていました 

つぎに、なぜねがごとかれたかみるすのかですね。日本にほん風習ふうしゅうには中国ちゅうごくからたものがおおいですが、この七夕たなばたねがごと習慣しゅうかんもそうです(奈良時代ならじだいにもたらされました)。細長ほそながちいさなかみ(「短冊たんざく」)にねがごとくというのは、かじうたいてげい上達じょうたつねがった「乞巧奠きこうでん」という行事ぎょうじからています。

日本にほんでは、七夕たなばた子供こどものころのなつかしい思い出おも でだというひとおおいようですが、最近さいきんでは七夕たなばたいわうこともないので、なおさらそうかんじるのかもしれません。いそがしすぎてそんなひまはないのかもしれません。でも、ごろなさされて、いろとりどりの紙飾かみかざりをき、短冊たんざくねがごとき、ドアやまどかざって七夕たなばたいわってみるのも、これからやってくる暑苦あつくるしいなつるための殊勝しゅしょうこころがけかもしれません。


京都きょうと小学校しょうがっこう七夕飾たなばたかざ

石灯籠いしどうろうのそばの七夕飾たなばたかざ

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