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翻訳に基づいた「通弁」クリエイティブ・ライティング

Since 2006. Last update June 16, 2021. Copyright (C) Tuben. All rights reserved.
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「つつがなき翻訳」が伝わらない理由

「つつがなき翻訳」とは?

少しシニカルな言い方をしていますが、「つつがなき翻訳」とは、いわゆる「優等生タイプ」の翻訳のことで、学校の英作文や英文解釈で間違いなく「正解」をもらえるような翻訳文のことを言っています。つまり、何も引かず、何も足さず、ただ黙々と一つの言語から別の言語へと転換しただけの文章のことです。

翻訳の用途にもいろいろありますが、とくに、読者の共感や感動を求めたり、説得して何らかのアクションを起こしてもらうといった内容のもの、あるいは、読者にとって「読まない」という選択肢のあるコンテンツでは、そういった優等生タイプの訳文は役に立たないと言えるでしょう。では、なぜ、どのように「つつがなき翻訳」が伝わらないのかを考えてみたいと思います。

根本的な理由は「直訳」にある

その理由を一言で言うならば、優等生タイプの翻訳とは、基本的には「直訳」であるからです。どうしても表現できない部分だけを意訳するだけで、後は、原文の構造やロジック、文化的特徴などをすべてそのまま踏襲しながら作文したものであるからです。直訳とその弊害でも触れていますが、そうすることによって、不自然で違和感のある文章になってしまうからです。

しかし、そうしなければ「正解」と見なしてもらえないのも事実です。学校の授業だけでなく、仕事であっても、ちょっと頭のカタイ翻訳者やチェック担当者が手がけた翻訳もそうなってしまいます。それが正しい翻訳だと思っているからですね。

なるほど、「正しい」かもしれません。しかし、「正しい」からと言って、自然で読みやすく、きちんとメッセージが伝わるとは限らないのも事実です。では、その理由はなぜでしょうか?

日本語と英語の言語間の違い

つまり、英語のようなヨーロッパ系言語と日本語では、その成り立ちや文法、語彙、文化的背景がまったく異なるからです。詳しくは「日本語と英語の違い」をご覧ください。「言語が大きく違う」と言ってもピンと来ない人もいるかもしれませんね。ではまず、言語の成り立ちや構造が違うとどうなるのかという現象をいくつか挙げてみましょう。

  1. 単語を訳したいが、翻訳先の言語にピッタリくる言葉がない
  2. 英語の文章では結論が先に来て、その後にどんどん修飾句が続く。それに対して日本語の文章では結論は後に来るため、どんどん続いている修飾句をすべて先に持って来ることになり頭でっかちになる
  3. その言語特有のクセや雰囲気、たたずまいを表現できず違和感のある文章になってしまう

エスペラント語のような人工言語はのぞきますが、言語とは、太古からの歴史や文化といった人間の営みから生まれ、発展してくるものです。よって、その中で形成される「語彙」も異なります。

同じヨーロッパ言語であれば、ギリシア語→ラテン語(→フランス語)→英語というふうに、言語間で語彙の借入を行いながら発展してきていますので、似通った語彙を見つけることができますが、日本語はそういうわけにはいきませんね。

また、2.ですが、学校の訳文では、「英語を日本語に訳すときは後ろから」ということで、律儀に頭でっかちの文章を作って「正解」ということになるかもしれませんが、非常に肩の凝る、読みにくい文章になってしまいます。最後の結論が出てくるまでその「どんどん修飾部分」を頭の中にキープしておかなければならないので、脳が疲れるのです。

ただでさえ「活字離れ」の激しい昨今、そんな文章は(絶対不可欠な場合をのぞいて)誰も読みたくないものです。

次に、3.について例を挙げてみると、日本語では「~と思われます、~と言ってもいいでしょう」といった言い方が「謙虚さ」を感じさせて心地よいのですが、これを英語でやると「そんなに自信がないのか?」となってしまいます。ご存知のように、英語圏の人々は自信を持って語る民族性ですね。

それ以外にも、日本語には主語がない文章が多く、さらっと平坦に表現するクセがあります。逆に英語では、「誰が、誰に、誰のものを」といった主語や所有格、目的格などがうるさいほど入ります。こういった「言語特有のらしさ」をうまく表現できなければ「翻訳臭い」文章ができあがることになります。

「伝わる」とはどういうことか?

ここでは、「通じる」ということと「伝わる」ということをあえて区別しています。「通じる」とはただ単に「どんなことが書いてあるかがわかる」ということですが、「読み物」としての読みやすさや完成度があるとは限らないということです。その前に、最初から読む気の起こらないもので結局読んでもらえない可能性もあるかもしれません。

それに対して「伝わる」ということは、ざっくりと、以下のようなポイントに絞ることができます。

  1. その成果物が原文と同じように1つの作品としての完成度を持っている
  2. その成果物が原文と同じように読みやすく理解しやすい
  3. その成果物が原文と同じ効果(インパクト、感動、センスなど)を持って伝わる
  4. その成果物が読者(市場)にとって最適化された内容になっている

限界を知ることで新しい可能性が生まれる

私自身、若い頃は「それでも限界まで努力をすべきだ」と考えていました。つまり、原文の情報を正しく、余すことなく訳出しながら、上で挙げたような条件を満たすものを生み出すべきだというわけです。

しかし、様々な経験を通して気づいたのは、それは不可能だということです。それは「言語の違い」に挑むことでもあり、そこに挑んでも意味がないということです。そんなきれいごとを言うよりも、その成果物の目的は何かという、もっと大切なことがあるわけです。

さらに、そこには、「すべての情報を網羅しながら自然な文章になっている」=「うまく翻訳している」という翻訳者の存在をアピールしたい気持ちもあったかもしれません。冒頭にも書きましたが、「翻訳者がよい仕事をしている」というのはどうでもよく、「翻訳者の存在を感じさせない」ということが翻訳ライターにとって、最高のほめ言葉だと考えます。

言語が違えば、翻訳の限界は当然あります。問題は、その限界に対してどのような態度を取るかであり、その選択肢は、「不自然だが甘んじて受け入れる」か「翻訳という枠を超えて最適なものにする」しかありません。そして、それは、目的や業界によっても異なります。

このサイトでは、後者の方向性を追求する業界や目的のための1つのソリューションとして「翻訳に基づいたクリエイティブ・ライティング」を提唱しているのです。

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(画像はイメージです。)