Last update May 28, 2021

ローマを築いたラテン人 (2)

ラティウムの制覇

ローマが集落から王政になり、さらに共和政となり勢力を拡大していくうちに、もともと30ほどあった「ラティウム同盟」 (Latin League) の村や集落もだんだんローマに併合されていきました。「同盟」と言っても不安定なもので、同盟諸都市は、いつ侵略されるかわからないという脅威や理不尽な統治への不満を感じていたはずです。「同盟」に参加している都市が合同でローマに対抗したこともありました。

しかし、ローマの巨大な力には勝てず、紀元前340年~338年のラティウム戦争 (Latin War) の終結とともに同盟は解消され、旧ラティウムの都市や集落はすべてローマの統治下に入ることになります。

下の表は、ローマ共和政の始まったころの旧ラティウム (Latium Vetus) に存在していた、ローマを含む15の独立都市国家です。

都市名 領土 (km2) 備考
ローマ
(Roma)
822 共和政ローマ
ティブル
(Tibur)
351 現在のティヴォリ (Tivoli) に位置。紀元前361年にガリア人 (Gauls) と同盟したが、紀元前338年ローマに敗退し併合された。
プラエネステ
(Praeneste)
263 現在のパレストリーナ (Palestrina) に位置。紀元前390年、ガリア人との戦争でローマが弱体化すると同盟を解消しローマと敵対するようになったが、ラティウム戦争 (Latin War) でローマに敗北した。
アルデーア
(Ardea)
199 アルデーア (Ardea) に位置。第2次ポエニ戦争 (Second Punic War) のときにローマの支援を拒んだことから自治権を剥奪された。
ラウィニウム
(Lavinium)
164 ローマから南に19キロ、ティベリス川 (Tiber river) 沿いにあった。紀元前488年にウォルスキ人 (Volsci) によって占領された。
ラヌウィウム
(Lanuvium)
84 紀元前6世紀にはラティウム同盟の一員であったが、紀元前5世紀になるとローマに対抗し、紀元前338年にはローマに征服される。
ラビキ
(Labici; Labicum)
72 ローマの南西20キロ、現在のモンテ・コンパトリ (Monte Compatri) あたりにあった。最初はローマと同盟関係にあったが、紀元前419年に、他のイタリック民族であるアエクイ人 (Aequi)ウォルスキ人 と同盟し、ローマに対抗したが紀元前418年に征服される。
ノメントゥム
(Nomentum)
72 現在のメンターナ (Mentana) に位置。ラティウム同盟に参加し、王政ローマと戦ったが攻略された。
ガビー
(Gabii)
54 ローマの東18キロに位置。ローマとの同盟を解消したが、ローマ王タルクィニウス (Tarquinius) の息子の計略にかかり征服される。
フィデナエ
(Fidenae)
51 ローマの北方8キロメートルに位置。もともとはエトルリア人 (Etruscan) の建設した都市。王政ローマのころから何度もローマと戦ったが、紀元前426年、7回目の反乱においてついに壊滅させられた。
トゥスクルム
(Tusculum)
50 共和政、帝政を通してローマとは同盟関係を維持していたが、ローマの敵とも同盟を結んだという記録もある。
アリキア
(Aricia)
45 ローマの南東25キロに位置。古くからラティウム同盟の中心的存在であり、ローマにとっては頭の痛い存在だったが、紀元前338年同盟が解消されると、完全にローマの支配下に入る。
ペドゥム
(Pedum)
43 紀元前488年ごろ、ウォルスキ人に征服される。
クルストゥメリウム
(Crustumerium)
40 ローマの北東、サビニ人 (Sabini) と境界を隔てた地域に住んでいた。ローマの「サビニの女たちの略奪」に反感を持ったが鎮圧され、後にラティウム同盟に加わり、ローマに敵対するが征服される。
フィクレア
(Ficulea)
37 ラティウム同盟に加わり、ローマに敵対するが征服される。


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