GrammarlyとChatGPTに英文ライティングさせてみる

二拠点生活―京都編

ChatGPTが一世を風靡するようになってから、猫も杓子もAIというブームになってきている(もっとも、ネコや杓子には使えないが)。

私の使っている英文添削ソフトであるGrammarlyも最近AI text generationなるサービスを開始したらしく(まだBeta?)「使ってみて!」とさかんに勧めてくるので使ってみた。

テーマは、新しく設置した「英文俳句サイト」の紹介文である(ちなみに下記サイト)。

さっそく、「Write a piece to describe my new site showing haiku poems based on authentic Japanese spirit, sensibility.(日本の精神や感性に基づいた本物志向の俳句サイトを紹介する文章を書いてください。)」という指示を出すと即座に戻って来たのが下記である。

なるほど、「それなり」である。このライティングピースが好きかどうかと聞かれれば「好きでもないし嫌いでもない」(どっちでもいい=ありきたり)ということになるが、これだけのインプットでここまで書いてくれればそりゃ便利と言える。それにしても、よくもまあ、ここまで「まことしやか」に書けるもんだと感心してしまう。これじゃ、表現にこだわりのない企業や団体がこぞって使っても不思議はない。なにしろコストもかからない。

また、同時に、「この程度のものならAIにもできる」ということを自分にも言い聞かせなけれなならない。

ということで、せっかくなので、くだんのChatGPT(以下Chatくん)にもやらせてみよう。不公平にならないようにGrammarlyさんと同じ指示を与える(文字数も指定しておく)。

個人的には無味乾燥すぎて面白くない。さすがに英文ライティングにこだわっているGrammarlyさんのほうがクリエイティブな仕上がりになっている。ただ、Chatくんは翻訳もできるので、「英語読みたくないよ~」という人のために翻訳してもらうと

「ベタ直訳調」である。よほど活字に飢えた状態の人でなければ読みたくないアウトプットだ。やはり翻訳はまだまだ自然だとは言えない。こんなんじゃ誰もこのサイトにアクセスしたいとは思わないだろう。しかも、英文の指示にはちゃんとhaiku poemsと複数にしているにもかかわらず、the haiku(「この俳句」)といつの間にか「単数」になっている。「どこぞの世界に俳句1本だけ紹介しているサイトがあるのか?」という常識的な発想はやはりAIにはまだないようだ。しかも、ChatGPTに俳句を詠ませてみるで試した結果では、「5-7-5の音数の構造」を理解していなかったChatくんが「したり顔」で語っているのもなんだかなーという感じである。

その他、英語と日本語を見比べてみると違和感のある個所は多々あるだろうと思われるが、キリがないのでやめておく。

ちなみに、先に挙げたGrammarlyさんの日本語訳も挙げておくことにするが、まずはChatくんの訳。

次に、おなじみGoogle翻訳の訳。

ま、どっちもどっちで甲乙つけがたいほど「NG」である。内容的な間違いというよりは、自然な日本語という意味ではまだまだである。もっとも、そのうちAI生成の翻訳がまかり通るようになると、不自然な表現にも慣れてしまい、不自然な日本語であっても「自然な表現」だと思うようになっていくだろう。そうして、何十年、何世紀と経つうちに、もともと不自然な表現だったものが「ごく当たり前の自然な言い回し」になっていくだろう。日本語も、英語の影響を受けて、学校の英文解釈のような不自然な日本語に変わっていくのは避けられないのかもしれない。

それが「言葉」の変化というものである。

今を生き、言葉に携わる自分がどんなに悔しがっても、何とかしなければ!と思っても、悲しいかな、それはどうすることもできない。

PartiallyCranky60

生まれ故郷の田舎に戻り、土まみれになりながら実家の管理をしてしばらく暮らす。そして京都に戻り仕事や自分のメンテナンスをするという二拠点生活が定着してきた。あっという間に1か月過ぎ、1年が過ぎる。忙しい。とにかく忙しい。退屈しているヒマもない。綱渡りのような生活。大変だが、スリルがあるとも言える。もっと時間が欲しい。