日本語と英語の違いとは?「主題」ありきの日本語と「主語」ありきの英語ここでは、最近発見した日本語の文章表現に関する考え方について説明します。実は、この考え方を当てはめることで、「日本語のあいまい性」についてのミステリーが1つ解決するのではないかと思うほど画期的なコンセプトなのです。その考え方とは―― 日本語は つまり、英語の文章が「主語」を中心にして、文章のそれ以外の部分(述語)がすべて「主語」を取り巻く(サポートする)情報として構築されるのに対して、日本語の文章は、 違和感のある日本語の主語ここで「なるほど」と思った方はなかなか鋭いのですが、「日本語に主語がない」とか「あいまいな主語」という現象はこの文章構造と非常に関連性が高いのではないかと言えます。たとえば、次のような例文があるとします。パターンとしては、「ゾウは鼻が長い」や「バラは香りがいい」なども同じなのですが、このような文章で「主語はどれですか?」と言われたらどうでしょう?主語には「は」や「が」といった助詞がつくので、「ウサギ」も「耳」も「主語」?2つあるから「二重主語」の文章だといった説明も出てきそうですね。 ちなみに、これを英語で表現すると… のどちらかになり、上の文章では「ウサギ」が主語で、下の文章では「ウサギの耳」が主語になります。そして、当然のことながら、上の2つの文章を学校の英語の授業で日本語に訳した場合、それぞれ「 日本語の主語は「主語」ではないしかし、あたらめてよく考えてみると、日本語にはけっこうこういうパターンが多いのに気づくはずです。こういうのもありますね。「お父さん」や「お姉さん」が主語になるのなら納得はできますが、「トイレ」や「洗濯物」は主語かと言われるとちょっと違和感がありますよね。これはどうでしょう? ここの主語は「晩ごはん」?そんなわけありませんね。晩ごはんが何を食べるの?ということになってしまいます。いやいやここは「食べる」の主語である「私」が省かれているんだという説明も出てくることでしょう。その極めつけがこれです。 日本語文法を語るときによく引き合いに出される例文ですが、「春」は季節で「あけぼの」は日の出前の時間帯を指しているので「春」=「時間帯」ということで矛盾があるじゃないかとか、「ボク」は「ウナギ」なんて、いつからあなた「ウナギ」になったの?なんてことになってしまいます。 ひいては、これだから「日本語っていうのは非論理的で、矛盾だらけのあいまいな言語なんだ」といった明治時代の西洋崇拝にも似た「日本らしさ」を卑下するようなことにもなりかねません。 ここで日本語の文法論はやりませんが、こうしてみると、「日本語の主語って一体何?」ということになりますね。もともと日本語に「英語の主語」のような概念はそぐわないのではないのでしょうか。 さらに言うならば、西洋言語のような「主語」の考え方がなかったところへ無理やり、「これが主語だろう」、「三人称代名詞に相当するものが日本語にはないから、“彼”、“彼女”にしよう」などと西洋言語の文法の型にはめようとしたような印象を受けます。 もともと日本語とは、西洋言語のように「人間」重視の主語を中心に言語表現するものではなく、ひとつの「出来事、現象、話題」( つまり、「今から○○について語りますよ」という前置きをしてから、自分の言いたいことを述べるというわけです。こういう点も何か「起承転結」の「起」に通ずる心理があるのかもしれません。 また、これは余談ですが、日本語が「話題の前置き」があって会話が進むことが多いのに比べて、英語はいきなり「あなたは、私が先日紹介した本を読みましたか?」などの「問いかけ」で始まることが多いという印象があります。日本語なら「先日紹介した本、読みました?」という話題先行型なので、(日本人にとっては)心の準備もしやすいのですが、英語の場合「いきなりその話題か」と感じる発言が多い感じがしています。そういうところもリスニングでの聴き取りにくさに影響している部分もあるのかもしれません。 その他、コラムの関連記事もあわせてお読みください。 |