おかしな日本語表現

以前、国際交流の一環で、日本に住む外国人の人たちをある工場見学にお連れしたことがあります。

この人たちは、とりあえず日本語がわかるということで、工場の方が日本語で案内してくださることになりました。ところが、工場の担当者の方がていねいに説明してくださっているにもかかわらず、どうも通じていないよう気配です。もちろん、この工場の方は日本人ネイティブです。確かに、技術的な内容ですので、理解するのはむずかしいのかもしれません。あるいは、まだ日本に来て日も浅いのかもしれません。それにしても通じない、工場の方にも申し訳ない気がして困ってしまったことがあります。

こういう場合、英語が通じれば問題はありません。ところが、英語圏以外から来た人たちで、英語でのコミュニケーションも怪しいものがあります。そこで、一計を案じて試みたのが、工場の方の日本語をわざとカタコトの日本語に直してみるということです。具体的な内容は覚えていませんが、「さっき、見た、部品。→部品OK。→このライン通ってここに来る。そして、ここ、組み立てる」という具合です。

すると、全部でないにしろ、ずいぶんとコミュニケーションの通りが良くなったのです。それ以後は、工場の方が話す日本語をカタコト日本語に通訳することになったのは言うまでもありません。

また、これは仕事上でのことですが、ある台湾の方とのやりとりです。この方はいつも大量の注文をして来られる人で、「わかりました」と大変気持ちの良い返事をしてくださいます。ところが、ほんとにわかってくれているのかと思うとわかっていなかったり、コミュニケーションの誤解が頻繁に起こり、「あの人は誤解が多いから気をつけよう」という評判のあった人でした。

たとえば、電話で話していて、「それはいいです」というので「要らない」のだなと理解していれば、「いい」=「良い」から欲しいとのことだったり、こちらのシステムの流れを説明しても「はい、はい」と言ってくれるのですが、どうも不安です。そこで、「あなたこれ、必要。だから、あなた注文する、私たち送ります。あなた受け取る、お金払います。お金は○○円です」といった感じのカタコト日本語でやりとりをしていました。誤解のないように言っておきますが、これは、決して、日本語の苦手な外国人をからかっているのではありません。こうでもしないと、思ってもみない損失や手間がかかってしまうことがあるからです。
以上は、自分自身が「おかしな日本語」を使った経験でしたが、コミュニケーションにおいて大切なのは、ストレスなく通じること。そのためには、相手の言語パターンに合わせて話をする、このサービス精神が大切だと思います。逆に、日本に単身赴任していた英語圏の人が日本人にわかるような英語ばかりを使っていたら、帰国したときには「赤ちゃん英語」のようになってしまい、奥さんもびっくり、「あなた、日本でいったい何があったの?」と言われたというような笑い話もあるようです。

もちろん、実際の翻訳にカタコト英語や日本語を使うというのではありません。一口に日本語(英語)表現と言っても、そこにはいろんな要素があります。自分たちの思考・表現パターンで一方的に話をしても、それがそのまま通じるわけではないという認識が大切だと思うのです。