不思議な翻訳文―なぜ、外国人は友だち言葉?

「やあ、ベティー、キミはこの○○クリーナーを使ってみたことがあるかい?」「あら、トム。いいえ、まだないわ」「だったら、ぜひ使ってみたほうがいいよ」「え、どうして?そこがそんなにスゴイの?」など、輸入商品のテレビショッピングの吹き替えはたいていこんなふうに始まります。
また、外国人タレントや有名人のインタビューも、「とてもラッキーだったよ。なにしろ、ジョンが追いついてきたのが見えたからね」、「彼ったら、いきなり現れて、ボクのこと覚えてる?なんて言うの。そんなの、ずいぶん昔のことよ。わかりっこないじゃない」といった感じの字幕が流れますね。
で、常々、疑問に思うのが、外国人はなぜこういうしゃべりになってしまうのか、ということです。こういったスタイルは、マスコミ業界のデフォルトなのかもしれませんが、考えてみると、外国人(それもたいていは西洋人)たちの話す日本語表現はずっと何十年もこんな具合で来ているような気がします。そういう私自身も、かってはこんな調子で訳していたのかもしれません。それが、なんとなく定着したスタイルのような認識があったのかもしれません。
まあ、翻訳自体が間違っているわけでもないので、目くじらをたてる必要もないのですが、自分よりはるかに年も若いと思われる西洋人に、「テレビを見ているあなたも、ぜひ試してみて。効果が実感できることうけあいよ」などと言われると、「あんたにそんなに馴れ馴れしく言われる筋合いはない」などと思ってしまいます。また、「わかりっこない」だの、「うけあいよ」といった、なんとなく、むずがゆくなるような、奇をてらった言い方も気になります。
やはり、日本人にとって外国人(特に西洋人)はそれだけでカッコイイのかもしれません。カッコイイから、こういったカッコイイ(?)しゃべり方をさせるのがどことなくフィットしていて、しかも、視聴者に堂々と「友だち言葉」で話しかけられるのは西洋人だからなのかもしれません。
それに引き換え、日本人のしゃべりの控えめで丁寧なのは対照的。「ずっと膝が痛くて歩くのも辛かったんですが、この○○のおかげで、今ではずいぶん楽になりました」、「私も愛用しています。もう、手放せません」ということで、間違っても、「この○○のおかげで、すこぶる楽になったよ」とか「ボクも愛用してるんだ。もう、手放せないね」といった口調にはならないようです。
どうでもいいのですが、ちょっと気になる不思議な現象ですね。