ザ・クリエイティブ・ショック

その昔、クリエイティブなショックを受けたことがあります。

それは、とある健康関連商品のプロモーションビデオの英語スクリプト(ナレーション原稿)を手がけたときの話です。

いつものように、パートナーのネイティブライターと共同で、日本語の原稿をもとにクリエイティブ翻訳ライティングを行いました。納期的な事情もあり、クライアントさんへ原稿を送ると同時に、ナレーションをしてくれるネイティブのナレーターにも原稿を送りました。
果たして、クライアントさんからはこれといった訂正箇所もなかったのですが、問題はそのナレーターからのフィードバックでした。

このナレーターはコピーライティングも手がける人で、キャリアも長く、けっこう日本では売れっ子だったようです。

さて、このナレーターいわく、「この原稿は使えない」と言うのです。

自分としては、それまで10年近くの経験があり、それなりの自信もあったものです。ナレーションの翻訳ライティングも何度も経験していました。もちろん、最終的に、実際に吹き込みを行うナレーターが、自分の好みなどを入れて若干修正を加えることはあります。それも、自分自身もナレーションには立ち会いますので、了解のうえでのことです。しかし、「使えない」と言われたことはありませんでした。

そのナレーターがリライトするとのことで、とりあえず、時間も迫っているので後はまかせることにしました。

そして、上がってきた原稿とは…。

そのイントロの書き出しを見てショックを受けました。

ちなみに、イントロは可愛い小鳥がさえずっているという「いやし」を連想させる映像で始まります。そして、日本語のナレーションには、はっきりは覚えていませんが、「わたしたちは人々の健康を云々… ○○に貢献します」というふうな企業メッセージが入っていました。こちらから出した原稿では、当然そのメッセージを律儀に文章表現していました。
ところが、リライトされた原稿では、たったの3ワード、

Peace, Care, Love…

なのです(ただし、この単語の順番は覚えていませんが)。

衝撃を受けました。

それまでの自分は、クリエイティブ翻訳とは言えども、原文に書かれていることをすべて余すことなく文章表現するのがプロだと思っていました。しかし、それは表面的なところにしか見ていなかったのです。

長々と書かれている紋切り型の表現をこの3つのワードに集約した、そのクリエイティブ力に圧倒されました。なるほど、決まりきったことを延々としゃべるよりも、短くてもインパクトのある表現のほうが効果があります。少ない言葉ですがパワーがこもるのです。その他の箇所でも、原文に合わせてくどくどと述べられている箇所が丸められて、非常にシェイプアップした形になっていたと思います。クライアントさんも含め、満場一致で、このナレーター案で進められたのは言うまでもありません。

もちろん、これは、クリエイティブ業界におけるライティングであるからこそ可能な手法です。また、クライアントさんによっても、日本語に忠実にやってもらわないと困るとおっしゃる方もおられるのは事実です。

この案件は、たまたまクライアントさん自身もクリエイティブ志向の方であり、関係者全員が同じ思いを共有することができた良い例だったと思います。

原文をそのまま律儀に表現することが決して良いものを作ることにはならない。それを確かに認識することのできた貴重な体験のひとつです。