言葉のオーラ

仕事を頼もうと思って近づいたら、「忙しい、話しかけるな」というオーラが…

その人が何となくかもし出している雰囲気という意味合いで最近よく使われるようになった言葉がこの「オーラ」。確かに、人にはそれぞれ「オーラ」があり、優しそうな人だなとか、あるいは神経質そうな人といった恒常的なものから、先日は「忙しい」オーラを出していたけど、今日は「ヒマ」オーラだといった変化するオーラもあるようです。

ところで、少しスピリチュアルな話になりますが、言葉にも「オーラ」があると思うのです。
日本古来の考え方に「言霊(ことだま)」というものがあります。言葉には魂が宿っているので、言葉を発するときには注意しなければならないということですが、結婚式などで使ってはいけないとされる忌詞(いみことば)などもここから来ているようです。つまり、言葉を使うということは、その言葉の持つ精霊を呼び起こすことで、言葉の意味するところのものが現実に起こってしまうということを恐れたのです。

なんだかオカルトチックになってしまいますが、言葉というものは不思議だなと思った体験が何度もあります。

たとえば、語学の学習をしていて、ある日ひとつの単語を覚えたとします。次の日、まったく関係のない別の授業などで、先生がその単語の意味について突然、質問してくる―といったようなことです。無数にある単語の中から、たまたまその単語が選ばれるという不思議。やっぱり、言葉には何かいるぞと感じたものです。

そういうことから、言葉を使った表現に携わっている自分としては、言葉に宿っている、その「何か」にうまく働いてもらってこそ、きちんと伝わる表現ができるのではないかという気がしています。逆に言えば、うまく働いてくれない場合に、何が言いたいのかわからない、誤解されてしまった、ということが起こるのかもしれません。

言葉にうまく働いてもらうには、表面的な使い方をしたり、雑な使い方をするのではなく、ひとつひとつを大切にしながら、そこに想いを込めていくということが大事だと思います。また、使う自分自身ができるだけ善良な人間になることで、その場にふさわしい言葉が向こうから寄ってきてくれるのではないかと考えたりもしています(笑)。実際、不正を行っている人の言葉が白々しいのもそういう理由があるのかもしれませんね。

話はそれましたが、そんなところから、言葉のオーラというものは言葉に宿っている「何か」がかもし出している雰囲気なのかもしれないと思っています。

では、その言葉のオーラとは一体どこから来るのか、どうして生成されていくのか―については、次の機会に考えてみたいと思います。