さて、言葉のオーラはどうやってできるか、ということです。
たとえば、こういう言葉があります。
「いかさま」
さて、どんなオーラを感じるでしょう?
なんだか、うさん臭そうなイメージを感じると思われます。実際、現代では「まがい物」、「ペテン師」といった意味で使われますので、その意味も手伝って、そういった「オーラ」を感じさせてしまいます。
ところが、ご存知のように、この言葉の本来の意味は「いかにも、そのようなさま」であるということで、古文などでは、相手の言葉に対して「いかさま」(=なるほど)といった相づちのような使われ方をしていたようです。もちろん、その当時では、この言葉には「うさん臭い」オーラはなかったはずですね。
だんだん時代が進むとともに、「いかにもそのように見せて実はまがい物」といった使われ方をするようになったのか、今ではすっかり良くないオーラを持つようになった言葉であると言えます。
ちなみに、「あ、全然大丈夫です」といった「全然~」の使い方も最近変わってきています。少なくとも二十年前は、「全然」という言葉の後には「問題ありません」など、「ありません」という否定形を使うのが常識的な用法でした。
それが、十年前くらいからか、若い世代の人が「全然大丈夫です」などと言うようになり、そのときには、なんだかジョークっぽいコミカルな雰囲気(オーラ)を感じていたのですが、いまでは、その使い方が当たり前になりつつあり、かっての「おかしさ」というオーラもなくなってきました。「それは間違った用法だ」と注意する年配の人もいなくなり、だんだん市民権を得ていきそうな表現です。
言葉は時代とともに変化します。そして、それとともに「オーラ」も変化していきます。
人々がその言葉をどう使うか―それによって、言葉の持つ「オーラ」が形成・変化していくというわけです。
その言葉の持つ「オーラ」とは、語源や本来持っていた意味、それが人々に使われることによってどう変化してきたか、そして、現在どういう使われ方をしているのか―そういう要素がすべて融合した全体的な姿、それが「言葉のオーラ」ではないかと考えています。