スタートレック(宇宙大作戦) (Star Trek)

スタートレックを語るなら、やはり忘れてならないのはこれ、オリジナルシリーズ (Star Trek: The Original Series; ST、TOS または TOS) である。

日本では「宇宙大作戦」という邦題がついており、その昔、午後4時代の再放送でもやっていたらしいが、あいにく筆者の実家はど田舎だ。観られるチャンネル数も少なかったのか記憶にはない。そんなわけで、筆者がスタートレックと遭遇したのは、映画版の Star Trek: The Motion Picture が初めてで、大学時代の友人に連れられて観に行ったのがきっかけだった。

そのときは、隣の席に座っている友人が、「おお!カーク (Kirk)、老けたなあ」とか「マッコイ (McCoy)!スポック (Spock)、久しぶり!」などと感慨に浸っているのを見て、「ヘンなヤツ」などと冷ややかな視線を送ったものだ。また、ステーションに停泊していた新しいエンタープライズ号 (Enterprise) を見てメロメロな表情をするカークを見て「へへ…」などと笑う友人、こっちははっきり言って、何がおかしいのかさっぱりわからない。退屈だしそのうちに眠くなる始末。ところが、ストーリーが展開するにつれてだんだんとノッてきた。筋書きのおもしろさもあったが、なによりコンセプトの深さに惹かれた。これはいける!というわけで、すっかりスタートレックのファンになって映画館を出たのである。

それから数年後、とある会社の国際セクションにいた筆者はなんとか英語のリスニングを鍛えなければという課題を抱えていた。そんなとき、テレビの深夜放送で「宇宙大作戦」をやっているのを発見。もちろん、英語を鍛えるのが目的なので「吹き替え」などで観ていたのでは話にならない。あまり言うと年齢がばれるが、当時はやっと音声多重テレビが出始めたような時代でけっこう値段も高い。そこで、たまたま隣の席に座っていた先輩から音声アダプターなるものを譲ってもらい、テレビ本体の音声を消してアダプターの副音声で観ることにした。そのうち、アダプターからの音声をラジカセで録音し、カセットテープに落としてウォークマンで聞いたりもした。おかげで、すっかりはまってしまい、英語も上達。原書のペーパーバック (paperback books) もよく読んだ。まさに、スタートレックがなければ現在の自分の英語スキルもないと言ってもいいだろう。

なかでもお気に入りはバルカン人 (Vulcan) のスポック。正確には、バルカン人大使の父サーレック (Sarek) と地球人の母アマンダ (Amanda) との間に生まれたハーフだが、本人としてはバルカン人としてのアイデンティティのほうが強い。バルカン人とはロジック (logic) に生きる人種であり、当然スポックもそうである。彼らにとって「感情」というものは無用の長物以外の何物でもない。つまり、理屈が通っていればすべて OK なのである。しかし、その理屈(ロジック)たるや半端なものではすぐに論破されてしまう。水をも通さない完璧なロジックを追求しているのがバルカン人なのだ。

だが、果たして、論理性だけがすべてなのだろうか―。たしかに感情は低次元のものかもしれない。しかし、友情はどうなのか、愛はどうなのか。感情を理屈で説明することは不可能である。それは、言いかえれば、感情は理屈を超えているということではないか。この宇宙とは、理屈で解決できるものばかりではない。ひょっとすると、幻想というのも現実を超えた真の現実なのかもしれない。オリジナルシリーズでは、こういった宇宙観が背景に流れているのを感じる。地球人 (human) とバルカン人の両方の血を受け継ぎ、地球人に囲まれて生きるスポックの悩みもその辺にあるような気がする。

ともあれ、女性に弱いカーク船長、green-blooded, pointed-ear hobgoblin(血みどりとんがり耳野郎)などとスポックをからかう毒舌マッコイ、それを聞いて片方の眉を動かして反応するスポック。この三人組 (a troika) のやりとりは絶妙である。これが楽しめるようになるとあなたも「通」と言うわけだ。

それにしても、当時は日本ではまだマイナーなドラマ。「スタートレックおもしろいねん」などと言うと、「スタート・レック?何それ」(切るところが違う)とか、「スポックっていうバルカン星人が…」と言っても「バルタン星人?」(それはシュワッチだろ)などずいぶん寂しい思いもしたが、なかには、「子供の頃、定期券入れをパチッと開けて、”エンタープライズ号ごっこ”して遊んでました」という話の通じる人もいたが、ごく少数だった。

一方外国人(特に欧米人)となると話は違ってくる。「私もスポックは好きです」と答えるアメリカ人女性、仕事で知り合ったオランダ人も「スタートレックのファンです」と言うと、「あ、あの Beam me up, Scotty (「転送せよ」という意味でキャッチフレーズ化している)だね」とノリも良い。また、そこら辺にあるものを指で触れて「He’s dead, Jim (ジム、彼は死んでいる)」などと言うとウケたりする。かって同じマンションに住んでいたオーストラリア人ともスタートレックの話で盛り上がった。

そして、こんなイギリス人もいた。彼は、仕事の得意先である企業が日本の管理職対象のセミナーの講師として、はるばる現地から招いた戦略コンサルタントだった。その彼が、セミナーの前に筆者にこんな質問をしてきた。

「講演の最後にこういう一説を入れたいのだけどどうだろう?」

その一説とは、他でもないスタートレックの冒頭に流れるカーク船長のナレーションだった。彼いわく、息子がスタートレックにはまっていて、最初はくだらない(イギリス人はアンチ・アメリカの部分がある)と思っていたのが、観てみるとおもしろくて、今ではすっかりファンだ、というのである。残念ながら、日本人では知っている人は少ないので、「たぶん聞いている人はわからないでしょう」と言うしかなかったが、アメリカのポップカルチャー (pop culture) でありながら、まさに、世界の共通語(大げさか?)ともなっているその威力を感じた。

ちなみにこれがそのナレーションである。

https://www.youtube.com/watch?v=hdjL8WXjlGI

また、これは次世代スタートレック (STAR TREK NEXT GENERATION) のピカード (Jean-Luc Picard) 船長による同じナレーションである。聞き比べると微妙な違いがあっておもしろい。なかでも、where no man has gone before (オリジナル)に対して、where no one has gone before (次世代)の違いは、今ではすっかり常識だが、男女差別 (genderism) に対応した表現だと思われる。

https://www.youtube.com/watch?v=DOryEhRTP7A

時空刑事1973 (Life on Mars)

またしてもお決まりのイントロだが、

もし、あなたが何かのはずみに意識を失い、目覚めたところが30年前だったら…?

しかも、30年前の現在の職場で働いている。そう、現在ではない30年前である。パソコンどころか FAX もない。「これくらいグーグル (Google) で検索 (search) すれば一発なのに…」と思うようなことでも、地道に図書館に行ったりして調べなければならない。書類を作成するにしても、MS ワードも一太郎もないので「あ、間違えた!」となると、消しゴムでゴシゴシやるか、ペンを使っている場合は最初から書き直しなんてことにもなってしまい、現代の便利さに慣れてしまっていると結構キツイ。もちろん、忘れた漢字を変換してくれるソフトもない。とは言え、「今日から入社した○○です」「え、あの○○さん?」など、あのイヤな上司が新入社員で自分の部下になったりする可能性もあり、「たっぷり日頃のお返しを…」ということもできるかもしれない(あまり良い趣味ではないが)。

そんな困った状況になったのが、主人公のサム・タイラー (Sam Tyler) 。大マンチェスター警察 (Greater Manchester Police; GMP) の警部 (Detective Chief Inspector; DCI) である。2006年、交通事故に遭い、目覚めたところが1973年。そして、33年前の大マンチェスター警察で勤務しているという設定である。しかし、彼にとって厄介なのは自分の状態がわからないこと。死んでいるのか、こん睡状態に陥って夢を見ているのか、はたまたタイムスリップ (time slip) してしまったのか。それとも頭がおかしくなってしまったのか…。

これが普通の SF ドラマなら、時間空間のひずみにはまって過去に行ってしまったとか、タイムマシンに乗って飛んできましたなど、自分にも自覚があるのだが、彼の場合はちょっと違う。事故に遭ったところまでは覚えているのだが、それから後はさっぱりわからない。それでも、ふとした瞬間に何かの装置らしき「ピッ、ピッ…」といった音が聞こえたり、近くの電話が鳴るので取ってみたら、自分の名前を呼ぶ母親や医者らしき人間の声が聞こえてきたりする。「あ、動いた!やっぱり彼には聞こえているのよ」「しかし、このままの状態を続けても目覚める可能性はありません」といった会話が展開する。ところが、彼には聞こえるのだが、こちらの声はいくら大声で叫んでも届かない。「もうしばらく様子を見て変化がなければ装置を外しましょう」という向こう側の声。しかし、そんなことをされては、それこそ戻るところがなくなってしまうじゃないか!「待ってくれ!外さないでくれ!」とこちら側で叫ぶ彼。トイレの鏡に向かって、「誰かここから出してくれ~っ!」と叫ぶ彼に、「アイツ、ちょっとおかしいぞ」と同僚の冷ややかな視線。そんな彼を唯一心配そうに見守ってくれるのが婦人警官のアニー (Annie) である。

ということで、見ている側にも、彼に何が起こっているのかさだかではない。こん睡状態なのかもしれないが、それすら、彼の頭のなかで創り上げられた「空想」の世界なのかもしれない。考えれば考えるほど、この点は「宙ぶらりん」 (suspense) の状態なのだが、その心理状態をじらすようにいろんな事件が展開する。そう、舞台は警察、事件が起こるのは当たり前である(ないにこしたことはないが)。しかも33年前だ。捜査のやり方もずいぶん昔かたぎである。21世紀の警察、サムにとっては当然の手順である科学捜査 (CSI = Crime Scene Investigation) なども、もちろん使われない。「でも、証拠が…」「証拠なんて関係あるか!オレが犯人だと思うんだからヤツが犯人なのさ」といったノリである。汚い手口も使うし、汚職もあり。そんな彼らと絶えず対立するサムは、時代をまたいだカルチャーショック (culture shock) にも悩まされる。

「この事件はどうなるのか」と刑事モノ (police procedural) のつもりで観ていると、突然、2006年の映像のフラッシュバック (flashback) が現れ、あの「ピッ、ピッ…」が聞こえ、会話の声がする。苦悩し取り乱すサム。「彼は現在に戻れるのか」とハラハラしていると、「おい、行くぞ」という同僚の声に覚醒されるように捜査現場に戻っていく。まさに、「刑事モノ」と SF (science fiction) という二つのプロットを交互に織り成すハイブリッド型ドラマと言えよう。

原産国イギリス (UK) で2006年からスタート。アメリカ (US)、カナダ (Canada)、オーストラリア (Australia)、ニュージーランド (New Zealand)、アイルランド (Ireland)、フランス (France) などでも放映され、アメリカではリメイク (remake) もされた。

それにしても、サムは戻れるのか、それとも―。

これは、サムのモノローグで構成されるイントロ部分である。

https://www.youtube.com/watch?v=jZOzsIhCPgs